昨年末、日本に住んで3年以上になるミャンマー人とベトナム人の大学生と、富士山が見える山へハイキングをした。2人とも日本企業で働くつもりだから、いまは日本語学習に全集中している。
今回は、そんな彼女たちから聞いた話を中心に書いていこう。
ハイキングコースの始まりには、こんなミカン畑が広がっていた。
スーパーでアルバイトをしているベトナム人がこれを見て、「今はスーパーやドラッグストアでお餅が売っていますよね。あの上にミカンがあるのはなぜですか?」と聞いてきた。
鏡餅にのっているのはミカンではなく、もともとは「橙(だいだい)」だった。橙の実は熟しても「ボトッ」と落ちることがなく、2〜3年も枝に残っている。そのため、鏡餅の橙には「家が代々引き継がれて栄えますように」という願いが込められているという。現代では、代わりにミカンを使うことが多いが、どちらもミカン科ミカン属の柑橘類なので、細かいことは気にしない。
ちなみに、橙の名前の由来は、果実が数年も木についていることから、これを見たご先祖様が「代々栄える」との意味で「ダイダイ」と呼んだというのが定説。(橙)
鏡餅は家に来てくれた年神様へのお供え物で、依り代にもなる。ベトナム人にそんなことを伝えて、ベトナムにも、神を招いて行われる祭りがあるか聞いてみた。すると、「ベトナムでは仏教とキリスト教を信じる人が多くて、仏像やマリア像に手を合わせることが一般的です。どこかから神を呼ぶという話は聞いたことがありません」とのこと。
ミャンマーではほとんどの人が仏教徒で、そのほかにも「ナッ」と呼ばれる精霊や先祖の霊を信じる「ナッ信仰」がある。彼女もベトナム人と同じく、仏教やナッ信仰で神を招くという話は聞いたことがない。
依り代を用意して神を迎えるという神道の発想は、世界的には少数派だ。
「ナッ」の像
山の中に入ると、そこには視界を覆うほどの杉の木が。
日本語で神を数える単位は「柱(はしら)」で、一柱(ひとはしら)、ニ柱(ふたはしら)、三柱(みはしら)と言う。
正確な由来は不明だが、木には神が宿るという神道的な考え方から、日本人は神をこう数えるようになったという説が有力。『日本書紀』には、欽明天皇を埋葬した古墳を修復したあと、氏族ごとに柱を建てたという記述がある。そこのことから、古墳時代に柱に神を降ろす祭りが行われ、神を「柱」と数えるようになったという説がある。(柱)
そんな話をミャンマー人にすると、彼女は『鬼滅の刃』を持ち出し、あのアニメに登場する「はしら」と関係があるのかと聞いてくる。あれは「鬼殺隊を支える頼りになる存在」という意味で、神とは関係ないと思うが、深いところでつながっているかもしれない。
ミャンマー語で神を数える単位は「パー」で、1パー、2パー、3パーと言うらしい。どうしても、「%」のように聞こえてしまう。「パー」の意味は不明で、人や物には使わず、神や仏にだけ使う特別な単位という。
ベトナム語で神を数えるときは、「数字」+「位(敬意を表す)」+「神」という形になるらしい。たとえば、神が1人なら「一位神(một vị thần)」、2人なら「二位神」となる。
中国語では、1人の神なら「一位神仙」、「两(両)位神仙」と言う。ベトナムは千年も中国に支配されていた歴史があり、おそらく日本以上に中国文化の影響を強く受けてきた。ベトナム語での神の表現もルーツは中国語にあると思われる。
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