きょう10月27日は「文字・活字文化の日」なので、外国人目線で日本語の文字について考えてみよう。
先月9月、東ヨーロッパから来たリトアニア人の留学生が日本の大学を卒業して母国へ帰った。
彼はリトアニア語のほか英語もネイティブ・レベルで、簡単なドイツ語やロシア語なら聞けるし話せるという。
そんな言語の才のある人が「これはムリっ」と断念したのが日本語。
彼が白旗をあげた理由はいくつかあるんだが、「ひらがなにカタカナに漢字。なんで文字が3つもあるんだよ?」という日本語の特殊性が大きい。
英語ならアルファベットはA~Zまで26個しかないから、これだけ覚えたらとりあえずは、街の看板やレストランのメニューを読むことができる。
でも日本語の場合、ひらがなとカタカナだけでも100近いアルファベットがあるし、それをクリアしても、その先には漢字というラスボスが待っている。
しかも日本語は3つの文字をそれぞれ別に書くのではなくて、ごちゃ混ぜにして1つの文を作るから、外国人にとっては分かりずらいこと山のごとし。
それもすべてはご先祖さまのせい。
万葉仮名が草仮名になり、やがて平仮名が生まれたことについてはここで確認だ。
宇多天皇宸翰の『周易抄』(寛平9年〈897年〉)では、訓注に草仮名を、傍訓に片仮名をそれぞれ使い分けており、この頃から平仮名が独立した文字体系として次第に意識されつつあったことが窺える。
この日本語の特徴に悩む外国人は多い。
日本語には3つの文字を同時に使うという、世界的に見てもかなり珍しい特徴があるから、面白い変換が出てくこともある。
「イブは空いています」が「イブは相手います」と真逆の内容になることがあるし、
「良く出来た内容です」という称賛が「欲で汚いようです」だと壮絶なディスリになる。
ほかにも、
「ソフト部」→「祖父飛ぶ」
「感無量だぜ!」→「缶無料だぜ!」
「ワイキキ」→「わい危機」
「アイツも誘うね」→「アイツも刺そうね」
といった誤変換はネットを見ればいくらでも出てくる。
先月、ある国会議員が「今夜は中秋の明月…ですね。」と書いてから、すぐに誤字に気づいて「ごめんなさい!!名月でした」と訂正する出来事があった。
外国人がこういう変換を見て、すぐに笑えるレベルに達するには時間がかかる。
リトアニア人はひらがなとカタカナをマスターしたころ、大学の勉強が忙しくなったし、漢字を覚えるのは面倒くさいから日本語習得はあきらめた。
まちなか、街中、マチナカは全部正解。
違いは雰囲気とニュアンス。
「買い物」か「買物」かは日本人でも迷うレベル。
上のリトアニア人の段階を超えて、ひらがなとカタカナ、それとある程度の漢字を覚えると、今度はその使い分けで悩む外国人が出てくるのだ。
日本語学校に通っていて、本格的に学んでいたタイ人とインドネシア人から話を聞くと、たとえばスーパーの果物の名前を見て疑問に思うことがよくあるという。
たとえばりんご、すいか、ぶどうはひらがなやカタカナで書いてあるけど、
オレンジ、ブルーベリー、パイナップルなどはひらがなではなくカタカナで表記している。
「すいか、スイカ、西瓜」はいいけど、「ぱいなっぷる」はなぜダメなのか?
昔から日本ある果物はひらがなでもOKで、新しく伝わったものはカタカナだと思うけどよくワカラン。
これに漢字が加わって、いちごをイチゴや苺、ももをモモや桃と書いてあることもあるから、彼らには3つの文字の使い分けがわからないから困るという。
柿・かき・カキも、牡蠣や火器などの間違いでもない限り、それを書いた店の人しだいでどれも正解。
スーパーや飲食店のレベルで、ひらがな・カタカナ・漢字の使い分けに明確な基準なんてない。
店員が変われば書く文字も変わるとか、同じ店員でもその日の気分しだいで文字を決めることはあるだろう。
「先生」だと敬意があるし、「せんせい」ならかわいらしくて、「センセイ(センセー)」だとバカにしてる感がある。大事なことは場面と言葉が合っているかどうかで、どれも日本語としては間違っていない。
こんなことを考えたらキリがねー。
それでタイ人とインドネシア人には「考えなければ困らない」とアドバイス(か?)をすると、日本語学校の先生からもこう言われたという。
「若い人かお年寄りか?男性か女性か?対象によって使う文字も変わってくる。日本人でも分からないことは知らなくていい。そこにこだわってないで、早く先に進みなさい。」
そうは言われても、どうしても気になって正解や基準を知りたくて、「時間のムダ」という泥沼にはまっていく外国人はきっと多い。
外国人の話を聞くと、1つの文章に3つの文字をぶち込む日本語はかなりやっかいだとよく思う。
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> ごちゃ混ぜにして1つの文を作るから、外国人にとっては分かりずらいこと山のごとし。
確かに、「分かりづらい」でしょうね。外国人にとっても、日本人にとっても、つらいところはあります。
アルファベットは(英語では)26文字で、平仮名・カタカナは合計100文字と確かに文字数は多い。だけど、アルファベットは、「発音によってタテ5段×ヨコ10行に並べる」という2次元整列方式(?)が存在しません。26文字が特に意味なく1列(=1次元)に並んでいるだけです。日本語を学ぶ外国人だって、知らず知らずのうちに、平仮名とカタカナにおける50音(50文字)の整列方法によって、多数の文字及び発音が覚えやすいという恩恵にあずかっているはずです。
だけど漢字は、そこから急に考え方を飛躍させなければならないから難しいのでしょうね。漢字は単なる文字(表音文字)ではなく、1文字1文字が単語としての意味を持つ表意文字であることを、外国人にはもっと強調して教えるべきだと思います。漢字以外の表意文字は、世界でも、古代エジプトの「ヒエログリフ」くらいしかないのでは?日本語ペラペラだけれども、漢字がどうしても習得できないという外国人は結構います。
まあでも、漢字は漢字としての大きなメリットもあるのですけどね(例:速読性)。別に「外国人にとって習得しやすい」という特徴だけが、あるべき文字の特徴という訳じゃない。