韓国の闇歴史「済州4・3事件」と犠牲者を慰霊する日本人

4月3日は1948年に、戦後韓国の最大級の闇歴史である済州島四・三事件が始まった日だ。

1945年に日本がアメリカに降伏したことで、1910年から続いた朝鮮統治は終わりを迎えた。その後、朝鮮半島は38度線を境に北はソ連軍、南はアメリカ軍に占領され、北部ではソ連の支援を受けた金日成の北朝鮮労働党政権が、南部ではアメリカの支援を受けた李承晩政権が確立しつつあった。
このまま進めば、それぞれ独立することは避けられない。しかし、済州島には南北の分裂を望まない人たちがいて、48年4月3日、南側だけの単独政府(現在の韓国)が樹立されることに反対し、武装蜂起を起こした。すると、韓国軍や警察などが武力を行使し、多くの民間人が殺害された。

反政府勢力だけでなく、無関係の人も捕まって虐殺され、朝鮮戦争(1950年〜1953年)を挟んで1954年までの6年間で、2万~3万人の島民が亡くなったとされる。死者の数は6万人にのぼるという説もあり、犠牲者の正確な数は永遠に分からない。

 

処刑するために集められた済州島の人たち(1948年)

 

済州島でこんな惨劇が起きていたころ、長崎県の対馬には海岸に次々と遺体が漂着するようになった。中には手首を針金で縛られた遺体もあり、これは処刑されたと考えて間違いない。住民はその遺体を手厚く火葬していたが、漂着する遺体があまりにも多く、火葬用の薪が不足したため、途中から土葬するようになったという。
国籍や事情に関係なく、亡くなった人々に同情し、その魂を慰めるという考え方はその後も対馬に受け継がれ、住民は韓国が見える場所に供養塔を建てた。そして現在も、日本人と韓国人が参加して慰霊祭を行っている。

これはそれを伝えるハンギョレ新聞の記事。(2019-10-01)

日本の対馬で「済州4・3慰霊祭」が開かれた理由は

最初は、対馬の人たちが定期的に供養塔を訪れ、手を合わせるだけの簡単なものだったらしい。それが次第に規模が大きくなり、今ではたくさんの人びとが集まって「済州4・3事件」の慰霊祭が行われるようになった。
これは日本と韓国でもっともっと知られていい話。

 

 

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • > これは日本と韓国でもっともっと知られていい話。

    それはその通りなんですが、どうやら韓国人はそれとは逆の方向に進むことを選択したらしいですよ。
    2025.4.4、韓国ユン・ソニョル大統領の弾劾が韓国憲法裁判所で決定。これで次の大統領は強硬な反日・反米のイ・ジェミョン氏に決まりました。アメリカのトランプ大統領による「トランプ関税」が発表された直後の、最悪のタイミングでの弾劾と言えるでしょう。
    後々歴史を振り返った時、「あの日が日本と韓国を含めた東アジア全域にとって『最悪の一歩』を踏み出した日であった」と言われるようにならなきゃいいですが・・・。
    日本の与党政治家にはほとんど期待できんしなぁ・・・。でも野党よりはマシか。

  • 何事も起こらなかったら、次の大統領はイ・ジェミョン氏でまず間違いないでしょうね。日韓関係はまた嵐を迎える予感しかないですね。
    ただ、文時代ほどひどくなるとは思いませんが。

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