前々から疑問があった。
「なんで日本人が鯨(クジラ)やイルカを食べると、それに怒って反対する欧米人がいるのか?」
シーシェパードという反捕鯨団体はその筆頭だ。
日本の捕鯨を力づくで邪魔しやがる。
問題になったのは、シーシェパードの妨害のやり方があまりに暴力的で危険だったから。
日本の捕鯨船に自分たちの船をぶつけたり発光弾や発煙筒を投げつけたりと、まさにやりたい放題。
シーシェパードとは「海の保護者」という意味。
だけどその過激な抗議活動から、日本やアメリカなどの国から「テロリスト」と言われて非難されたこともある。
でも日本が鯨を捕まえることに反対して、シーシェパードを支援していた欧米人が多かったのは事実。
そこで疑問が浮かんだ。
「牛や豚は殺して食べてもいいのに、なんでクジラやイルカはダメなのか?」
日本が捕っている鯨は絶滅危惧種でもないのに。
ちょうど産経新聞に、そのことについての記事(2017.8.20 )があった。
「なぜクジラだけが特別なのか」捕鯨是非 ガチンコ論争で露呈した反対派の“論点ずれまくり”
京都大学で「日本伝統の捕鯨文化は、いいのかダメなのか?」という討論イベントが開かれた。
そこで、捕鯨を認めるグループと反捕鯨グループが話し合う。
ボクの疑問だった「牛や豚は殺して食べてもいいのに、なんでクジラやイルカはダメなのか?」ということも議題にあがった。
捕鯨容認派の「なぜクジラだけが特別なのか?」という疑問から討論がスタート。
でも、「論点ずれまくり」と書いてあるように、「なんでクジラだけは、捕ってはいけないのか?」という質問に対して、捕鯨反対派の主張はコロコロ変わってしまって、結局明確に答えることができなかった。
「反捕鯨(の主張)は当初、絶滅危惧種だから駄目というものだった。それが捕獲方法が残酷だに変わって、最後は(鯨類は)賢いから駄目だと、論点がどんどんずれてきている。日本人の立場をきっちりと発言し続けることが重要だ」
捕鯨に反対する人たちは、鯨だけではなく、牛も豚も食べない「ベジタリアン(菜食主義者)になるべきだ」と訴えたという。
よけいなお世話だっつーの。
さらに、反捕鯨派の主張には矛盾もある。
彼らは日本の捕鯨は非難するのに、アラスカの捕鯨は「伝統の継承だから」と認めている。
この態度も納得がいかない。
くわしくは上の記事を読んでください。
前に3人のイギリス人と話をしていたときに、日本の食文化の話になった。
寿司や天ぷらではなくて、日本人がクジラやイルカを捕まえて食べることについて。
彼ら3人ともそれには反対。
ボクは小学生のころ給食で鯨の肉を食べていたから、今さら「捕鯨反対!」なんて言えない。
イルカは食べたことはないし、食べたいとも思わない。
だけど、イルカ漁は日本の伝統文化のひとつだ。
欧米人に反対されたからといって、止める必要はない。
そのへんをハッキリ言ってみた。
すると彼らは怒ることも非難することもない。
「自分はそれには反対だけど、日本のことは日本人が決めたらいい」とさっぱりしていた。
この時、彼らに聞いてみた。
「牛や豚は殺して食べてもいいのに、なんでクジラやイルカはダメなのか?」
彼らの1人がこう言う。
「クジラとイルカには、心や感情があるからだよ。牛や豚にはそれがない。それは科学的に分かっているんだ」
心や感情があるから、クジラとイルカは他の動物と違うらしい。
それが「科学的に証明されている」ということについては、他の2人も認めていた。
ネットで調べてみたけれど、「クジラとイルカの心(感情)」というものが具体的にどういうものなのかはよく分からない。
ついでもこんな質問もしてみた。
「日本では昆虫食のイベントがあって、ゴキブリ入りのパンやセミのフライを食べることがある。君たちはゴキブリと鯨なら、どっちが食べたくない?」
「絶対に鯨だよ。ゴキブリは、ただgross(気持ち悪い)だけじゃないか。鯨には心があるんだぜ。それを食べるのは残酷だ」
2人ともクジラやイルカを食べるくらいなら、ゴキブリを食べると言う。
ボクならクジラとイルカだけど。
ゴキブリはムリだわ。
何かを食べたくないと思う理由で、「気持ち悪いから」というのはよく聞く。
でも、「残酷だから」という理由はあまり聞いた覚えがない。
日本人の感覚だと、犬や猫を食べることがこの”残酷”に当たるかもしれない。
「牛や豚は殺して食べてもいいのに、なんでクジラやイルカはダメなのか?」という疑問の答えが少しわかったような気がする。
ようするに、「人間に近い動物から」ということだろう。
おまけ
1853年にアメリカ人のペリーが日本にやって来た。
もちろん東京ドームでおこなわれるコンサートのために、ではなくて、日本を開国させるために。
この時アメリカは、なんで日本を開国させたかったのか?
それは捕鯨のためだった。
この少し前に欧米では産業革命がはじまっていて、人々は夜遅くまで仕事をしていた。
夜に仕事をするためには、明かりがほしい。
その明かりのために、鯨の油が使われていた。
鯨油を手に入れるためには、鯨を捕まえないといけない。
それでアメリカの捕鯨船が日本の近くにまでやってきた、というわけだ。
捕鯨には、水・薪・食料が必要になる。
それを補給するためにいちいちアメリカまで戻っていたら、とんでもない時間がかかってしまう。
だから日本で物資の補給しようと考えて、日本に開国を要求してきたわけさ。
いま日本に「鯨を捕るな!」と反対している欧米人が、その時は、世界中でクジラを捕りまくっていた。
くわしくはこれを読んでください。
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日本人の食文化:江戸は犬肉を、明治はカエル入りカレーを食べていた
犬や猫、イルカ、オランウータン、ゴリラ、チンパンジーといった動物は生理的に食べるべきではないと思う。これはもう理屈じゃなく、殺人をしたらダメという生理的感覚に近い。こうした動物を韓国や中国のように苦しませて殺して食べる国は野蛮視されて当然。私はイルカなぞ食べたことないし、これからも食べる気はない。伝統の中には伝えていくべきものもあれば、人柱やいけにえ、腹切り、鞭打ち刑などのようにやめるべきものもある。一部のイルカを食う日本人のせいで、日本人全体が誤解されるのは耐えられない。どうか、もう本当に心からイルカ漁やめてほしいと思う。
ボクもイルカを食べたことはありませんし、食べるつもりもありません。
ですが、イルカ漁を非難するつもりもありません。
最近、反捕鯨国の急先鋒のイギリスで、反捕鯨運動を扱った「ビハインド・ザ・コーヴ ?捕鯨問題の謎に迫る?」が映画祭の最優秀監督賞を受賞しました。
イギリスにはクジラやイルカ漁に反対する声がありますが、そうした人を非難する声も同時にあります。
世界にはいろんな価値観がありますから、それを尊重しないと別の問題が生まれてしまいます。
豚は犬や猫やイルカより頭のいい動物です。チンパンジーに匹敵するほどの長期記憶と認知能力を持っています。躾ければ理解するだけじゃなく、学習して応用も出来るほど賢いです。更に嘘をついて相手を騙すことも出来ます。これらは人間の赤ちゃんに匹敵する能力です。感情もとても豊かで、怒ったり、拗ねたり、悲しんだり、愛も理解しています。それに本来はとてもきれい好きな動物です。ですが、世界中で家畜として食料として扱われています。なぜなら元々イノシシを品種改良した生き物なので免疫力が強く飼育が楽だからです。結局、食べちゃいけいない理由として知能とかは全く関係ないんです。便利で美味しいから食べるんです。それが仕事になっるから食べるんです。生活の一部になって文化として根づいてしまったら簡単にやめることなんて出来ないんです。世界は常に人間の気まぐれと都合のいいルールで廻ってる。
そうですね。
何を食べていいかいけないかは、結局は人間の都合です。
宗教やら文化やらいろいろ背景・理由はありますけど。
自分の価値観をどこまで他人にも当てはめようとするかは、食文化とは違う問題ですね。
何がよくて何が悪いかを決めるのは物理法則からは導かれず、人間が主観的に決めることなので意見の異なる集団が議論しても水掛け論に終始しますよね。
ただし、現在日本が捕鯨を推進すると多くの欧米人から嫌悪感を抱かれ、国際世論的に負のインパクトがあるのは残念ながら事実です。
私も短い期間、欧州のとある国で働いていましたが、日本人のイメージの1つとして捕鯨をするということをマイナスイメージとして持っている方に会うこともありました。
今後ますます国力が相対的に落ちていく日本が国際社会から勝ち取れる果実はごく僅かですので、それひ何を選ぶのかはこれまで以上に戦略的考える必要があります。
それが強大化する隣国からの安全なのか、経済的利益なのか、鯨肉なのか・・
IWCからの脱退には驚きました。
捕鯨はおもに欧米が反対していますし、批判は覚悟しないとダメでしょうね。
もちろん、日本側もそれを知ったうえでのことでしょうけど。
これによって受けるダメージがどれほどか分からりませんが、別の何かが国際社会で信頼を勝ち得ないといけないですね。