第二次世界大戦中、ドイツのヒトラーは演説でソ連(共産主義)についてこう言った。
「共産主義はドイツの将来への大きな危険である」
「(ソ連との戦いは)共産主義的知識人の絶滅でなければならない」
こうした考え方をもとに、ヒトラーはソ連との戦いを「絶滅戦争」と呼んだ。
今回は、ドイツとソ連の「絶滅戦争」のなかで、もっとも激しい戦闘がおこなわれたことで有名な「スターリングラードの戦い」について知っていきましょう。
ソ連南部を占領したドイツ軍(ナチスの将校)
「NHK 映像の世紀 第5集 」から。
去年、「欅坂46の衣装がナチスの軍服に似ている!」ということが大問題になった。
首都モスクワの右下に、ヴォルゴグラード(昔のスターリングラード)がある。
下の地図だと、北海道のところ。
ロシアはドでかい。
なんで日露戦争で勝てたのか、不思議になるほど。
1942年の夏、第二次世界大戦の状況、世界の運命を変える決定的な戦いがソ連のスターリングラードであった。
このとき、第二次世界大戦のあらゆる戦闘の中で、もっとも激しい市街戦が展開されたといわれている。
スターリングラードの戦い
ドイツは市の大半を占領したが、ソ連軍が反攻に出てドイツ軍を包囲した。
ヒトラーは軍の撤退を許さず、結局9万人のドイツ軍がソ連に降伏した。この戦いは独ソ戦の転換点となり、ソ連が反攻に転じ、ドイツは守勢にまわった。「世界史用語集 (山川出版)」
この戦いでソ連が勝利したことから、第二次世界大戦の流れが連合軍(米英仏中ソなど)にかたむく。
もしソ連がここで負けていたら、世界はきっとヒトラーのものになっていた。
スターリングラードの戦い
画像と下の文は「NHK 映像の世紀 第5集 」から。
ここで戦ったドイツ軍の将校は、手記にこう書いている。
スターリングラードはもはや街ではない。
日中は火と煙がもうもうと立ちこみ、一寸先も見えない。炎に照らし出された巨大な炉(ろ)のようだ。
それは焼けつくように熱く、殺伐として耐えられないので、犬でさえヴォルガ河へ飛び込み、必死に泳いで対岸にたどり着こうとした。
動物はこの地獄から逃げ出す。どんなに硬い石でも、いつまでも我慢していられない。
人間だけが耐えるのだ。神よ、なぜ我らを見捨てたもうたのか
石でさえ我慢できないような状況でも、ヒトラーは軍の撤退を許さなかった。
そしてドイツは大敗北する。
スターリングラードでの勝利から75周年を記念して、ロシアで式典が開かれた。
式典に出席したプーチン大統領はこう演説をしている。
AFPの記事(2018年2月3日)から。
「スターリングラードの守護者たちはわれわれにすばらしい遺産を残した。祖国への愛、祖国の国益と独立を守り、いかなる試練に対しても断固として立ち向かっていく覚悟だ」と語り、先人たちの例に倣うよう呼び掛けた。
スターリングラードで戦ったソ連が「すばらしい遺産を残した」ことはたしか。
でも、「愛国心を鼓舞」という言葉があるように、ここ最近のロシア政府は愛国心をかき立てる手段として、ソ連の勝利や犠牲を特に強調する傾向があるという。
記事では、ロシアの政治アナリストが「愛国心が国家のイデオロギーのようになっている」と指摘し、戦勝記念日は「自国は結果を出す能力があり、どんな敵でも倒せるというイメージの宣伝」に使われていると言っている。
親からもらったすばらしい遺産をどう使うかは、なかなかむずかしい。
ちなみにこのニュースに対して、ネットでの反応はこんな感じ。
・あの戦いは悲惨じゃったのお。勝った方も負けた方も。
・弾丸だけ渡される人ってどんな気持ちだったんだろうか
・映画見るならドイツ版の「スターリングラード」がお勧め。悲惨の一語だから・・
・えっ、あれからまだ75年しか経ってなかったのか?
・市街地での白兵戦はまさに戦争だからね、大砲も戦闘機もない人と人の殺し合いだ
・第二次世界大戦の兵士の死者数はドイツとソ連が圧倒的なんだよな
世界的に有名なロシア土産「マトリョーシカ」
実はこのマトリョーシカの起源は日本にある、という説がある。
19世紀末に七福神の「入れ子人形」をモデルにこれが誕生したという。
それでロシアでは、モデルになった人形を「フクルマ」(福禄寿)と呼ぶのだとか。
こちらの記事もどうぞ。
11月11日は、ポッキー食べて、第一次世界大戦を学ぶ日だっ!
日本人が犯した「ナチスの失敗」。しまむら・欅坂46・Jリーグ
スターリン(ソ連)の大粛清③強制収容所での生活(食事、病気、罰)
コメントを残す