歴史雑学:勝利を記念する地名③シェムリアップと日本との関係

 

韓国の江原道(カンウォンド)にある「破虜湖(パロこ)」。エジプトの首都カイロ、ミャンマー最大の都市ヤンゴンにインドネシアの首都ジャカルタ。
これらの地名には、戦いの勝利を記念してつけられたという共通点がある。
今回はその第三弾、カンボジアのシェムリアップについて書いていこうと思う。
それと日本との関係も。

【歴史雑学】勝利を記念する地名①破虜湖・カイロ・ヤンゴン

【歴史雑学】勝利を記念する地名②ジャカルタ(と日本の関係)

 

シェムリアップは千葉県の横にシェムリアップがある。

 

カンボジアといえばアンコールワット。
アンコールワットといえばシェムリアップ。
アンコールワットをふくむいろいろな遺跡がここにあるから、シェムリアップは観光の一大拠点になっている。
ここはもう大正時代には有名な観光地だった。
10年ぐらい前、日本人旅行者は「シェムリ」と略して呼んでいたけど、旅行ブログを読むと日本人はいまでもそう呼んでいる。

そんなシェムリも戦いの勝利を記念してつけられた地名だ。
ここはもともとアンコール遺跡をつくったクメール人の支配地だったけど、シャム(タイ人)との戦いに負けて奪われてしまう。
でも17世紀にクメール人がタイのアユタヤ朝と戦って勝利したことで、再びこの地を取り返した。
そしてそこは、「シェム(タイ人)リアップ(追い出す、やっつける)」と呼ばれるようになった。

ウィキペディアには「Siem Reapを直訳すると『シャム人敗戦の地』」と書いてある。
カンボジア人にReapの意味を聞くと、「追い出す、やっつける、平らにする」なんて答えが返ってきた。
「タイ人を皆殺しにして、みんな倒れたから平らになった」と言う人もいた。
英語版ウィキペディアを見てみたら、「タイ人をdefeat(破る・倒す・打ち負かす)」とある。

The name “Siem Reap” can be translated to mean ‘defeat of Siam’ (siem in Khmer), and is commonly taken as a reference to an incident in the centuries-old conflict between the Siamese and Khmer kingdom

Siem Reap・History

だからシェムリアップは「シェムとリアップ」であって、「シェムリ・アップ」ではない。

 

さて上の説明にあるように、シェムリアップはむかしからタイとカンボジアの争いに巻き込まれて、どちらかの領土になっていた。
その点では、フランスとドイツの係争地「アルザス=ロレーヌ」に似ている。

「シェム(タイ人)リアップ(追い出す、やっつける)」と呼ばれるようになったシェムリアップだけど、その後、またタイがこの地を手に入れる。
と思ったらそのあと、シェムリアップはまたまたカンボジアのものとなってしまう。
といっても当時のカンボジアはフランスの植民地(フランス領インドシナ)だったから、シェムリアップはフランスのものとなったというのが正確。

タイとしては、フランスに奪われたシェムリアップを取り戻したいとずっと思っていた。
その悲願を実現させたのが日本。
20世紀に入ってタイとフランスがもめたとき、日本が仲介して「手打ち」にした。
それが東京条約で、これによってシェムリアップはタイの領土となった。
そのことはこの記事をどうぞ。

1933年、日本は国際連盟を脱退。棄権したタイの人気が爆発。

そういえば、シェムリアップに初めて空港をつくったのは日本軍だったというのを本で読んだ記憶がある。

 

その後、太平洋戦争が終わると同時にタイの夢も終わって、シェムリアップはカンボジアのもとに戻っていった。
カエサルのものはカエサルに。

 

 

「シェムリアップ」という地名は「タイ人をやっつけた」という意味なら、観光で訪れたタイ人はそれをどう思うのだろう?
中国との勝利を記念してつけた韓国の「破虜湖(パロこ)」にいまの中国人が怒るように、タイ人も「シェムリアップ」に怒るのだろうか?

そんな疑問が浮かんで、シェムリアップに行ったことのあるタイ人2人に聞いてみたら、2人ともそんな意味があるとは知らなかった。

「リアップ」はタイ語にもあるからわかるけど、「シェム」の意味は知らなかったという。
「シェム」が自分たちタイ人を指していることに気づくと、「それはおもしろい!」と2人で笑う。
「そんな昔のことは関係ないです」ということらしい。
これなら中国みたいに、地名の変更を要求することはなさそう。

バンコクのワットプラケオという王宮寺院の中に、アンコールワットの模型がある。
それを、「タイ人はアンコールワットを自分たちのものと考えている証拠」と言うカンボジア人に会ったことがある。
隣国との歴史認識の違いはどこも大変だ。

 

おまけ

アンコールワット

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。