【中国の歴史】科挙の伝説的苦労人・曹松と彼の見た黄巣の乱

さてきのう、中国の科挙についての記事を書いた。
科挙は清朝末期(1905年)まで行われていた官僚の選抜試験で、現在の日本でたとえるなら国家公務員になる。科挙には3段階があり、その全てでトップ合格した超絶天才は「大三元」と呼ばれた。

くわしいことはこの記事をどうぞ。

【歴史雑学】麻雀の「大三元」の由来は中国の“超人”だった

今回はこのオマケだ。科挙の話がでたついでに、ぜひ多くの人に知ってほしい人物がいる。
それは激動の唐末を生き抜いた人物で、名を曹松(そう しょう)という。約1300年の科挙の歴史は大三元などいろいろな伝説を生んだが、この人の名前も中国の歴史に刻まれている。

不撓不屈(ふとうふくつ)、初志貫徹(しょしかんてつ)、七転八起(しちてんはっき)…。

どんな困難や失敗にも負けず、最初に決めた目標を実現しようとする心をあらわす熟語は山盛りある。簡単に言えば、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」だ。
曹松こそ、そんな言葉がふさわしい。
科挙に合格することはおそろしいほど難しく、「進士科」という試験の場合、倍率が約3000倍になることもあったという。
曹松は各地を放浪しながら科挙を受け続け、そのたびに落ちた。それでもネバーギブアップの精神で挑み、70歳を過ぎたころ、ついにその難関を突破した。その時、彼は白髪になった。ほかに、王希羽や柯崇ら4人も同じく70歳を超えてから科挙に合格したため、曹松を含め彼らは「五老榜」と呼ばれた(曹松)。
※「榜」とは、科挙の合格者を記した立札のこと。

唐時代の後期、科挙ではワイロが横行していて、コネの無い受験生が受かることはとくに難しかった。その影響があったためだと思うが、何度落とされてもあきらめず、70を超えて合格を勝ち取ったのはスゴい。しかし、曹松はすぐに亡くなった。
言い方は失礼かもしれないが、下積み時代(地中にいた期間)が長く、地表に出るとすぐに死んでしまうセミの一生のようだ。

 

曹松が生きた9世紀後半の中国というのは、「黄巣(こうそう)の乱」が起きた大混乱の時代だった。世界最大の帝国といわれた唐に、事実上の引導をわたしたのがこの乱。
これは高校世界史で必ずならう超重要事項だからおぼえておこう。

黄巣の乱 875~884

塩密売商人の挙兵から始まった唐末の大農民反乱。王仙芝の死後、黄巣が始動したので彼の名を冠してこう呼ばれる。

「世界史用語集 (山川出版社)」

 

黄巣は何度も科挙を受けたが合格できなかったため、官僚の道をあきらめて塩の密売商人になったといわれる。曹松のように…と言いたいところだが、当時は黄巣のようなパターンが多かったと思われる。
この乱のあと、907年に唐は崩壊した。「空、紅にして唐滅ぶ」で覚えておこう。

 

黄巣の乱で社会が荒廃していたころ、曹松はロバに乗って各地を旅し、何とか生きていた。彼は社会の底辺に生きる労働者の苦しみに共感し、戦争を忌み嫌った。
そんな中国を見て、曹松は「己亥歳」という詩をつくり、その中に21世紀でも有名なこんな一節がある。

「一将功成りて万骨枯る」

一人の将軍が功名を成した陰には、万人の兵士たちの犠牲がある。
戦場で散った無数の命の上に英雄は立っている。しかし、後世の人びとに記憶されるのは頂点にいる一人だけ。

この句は命のはかなさや戦争の空しさを表しているとか、成功した人間だけが名誉を手にするのを嘆いているなどと言われている。
苦労のすえ、70を超えてからやっと名誉をつかんだ曹松らしい言葉だと思う。

 

 

よかったら、こちらもどうぞ。

異論反論どんとこい!「日本=ケンシロウ説」① 強さの秘密

「日本=ケンシロウ説」② 中国に学び、京都をつくった。

中国人の「日本こそ、中国文化のパクリだ!」が違う理由

日本文化の特徴(強み=弱み) 何でも「日本化」してしまう

世界で日本とインドだけが行うこと・原爆犠牲者への黙とう~平和について①~

日本はどんな国? 在日外国人から見たいろんな日本 「目次」

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 凄い人なのは確かなんですが、科挙に受かることが目的化してしまった辺りは、現代の価値観からすると残念な人でもありますよね。
    当時の科挙及第にはそれだけの価値があったのでしょうけど。
    この能力と執念を別の事に使えれば、もっと色んな事が出来たのかもしれないと思うと……。

  • それは私も思いました。
    まあ、この人の人生を全否定するようなものですけどね。
    この時代の平均寿命は40歳もなかったと思います。
    70を超えても受験生でいるというモチベーションは謎です。
    ある意味、後世に名前と教訓を残せました。

コメントする

目次