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織田信長の家来となった黒人奴隷(弥助)と本能寺の変
はじめの一言 幕末に訪日し、日米修好通商条約を締結したことで知られるアメリカ人のハリスが江戸城で将軍・徳川家定に会った時の感想。 「想像されうるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであった。燦然たる宝石も、精巧な黄金の装飾も... -
アフリカから日本に来て、戦国武士になった黒人奴隷(弥助)
はじめの一言 幕末の日本へやってきて、日米通商修好条約を結んだことで知られるアメリカ人、ハリスの印象。 「人々はいずれも、さっぱりとしたよい身なりをし、栄養もよさそうだった。実際、私は日本に来てから、汚い貧乏人をまだ一度も見ていない... -
黒人奴隷の様子:アフリカ(セネガル)の負の世界遺産「ゴレ島」
はじめの一言 「歴史的にみれば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点とも呼べるものであった。(バー・モウ)」 「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」 バー・モウ(ウィキペディア) 1893年2月8日 - 1977年5月29日 ... -
セネガル旅行:どんな国?日本との関係、フランスとの関係
はじめの一言 「私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す(ハリス 幕末)」 「逝きし日の面影 平凡社」 ハリスは幕末の日本へやってきたアメリカ人で、江戸幕府とアレコレ交渉し、1858年に神奈川... -
アフリカ旅行、ガーナで男泣き。野口英世への母からの手紙。
はじめの一言 「私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。 (ハリス 幕末)」 「逝きし日の面影 平凡社」 このハリスというアメリカ人は... -
ガーナ旅行で「会った」野口英世について・お札の理由とは
はじめの一言 「彼らはよく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もいない。ーこれが恐らく人民の本当の幸福という姿というものだろう。 (ハリス 幕末) 「逝きし日の面影 平凡社」 ・野口英世 前回、ガーナに... -
アフリカの負の世界遺産(黒人奴隷):ガーナのケープ・コースト城
はじめの一言 *日露戦争での日本の勝利について 「それはわれわれに新しい誇りを与えてくれた(バー・モウ)」 「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」 バー・モウ(ウィキペディア) 1893年2月8日 - 1977年5月29日 ビルマ(現ミャンマー)の... -
西アフリカの音楽文化:トーキングドラム・マリという国
はじめの一言 *日露戦争での日本の勝利について 「ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである(バー・モウ)」 「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」 バー・モウ(ウィキペディア) 1893年2月8日 -... -
アフリカ(エチオピア)の民族文化「唇に皿」・日本との関係
はじめの一言 *日露戦争について 「アジアにおいて日本だけが、ある日突然、ヨーロッパが世界を制覇したその同じ力をもって、ヨーロッパに逆襲できると考えたのです(タゴール 明治時代)」 「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」 真ん中に... -
ミャンマーから消える「タナカ」文化、欧米と日本のせい?
はじめの一言 「私は今でも、日露戦争と、日本が勝利を得たことを聞いたときの感動を思いおこすことができる(バー・モウ)」 「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」 バー・モウ(ウィキペディア) 1893年2月8日 - 1977年5月29日 ビルマ(現ミ...