日本語を学ぶ外国人は、どんなところで苦戦しているのか?
ちょっとそれを知りたくなったから、そんな外国人が集まって教え合うSNS上のグループをのぞいてみたら、さっそくある外国人がこんな質問をしている。
次の単語について目上の人に使う敬語と、友人に使う普通語を教えてほしい。
「興味がない」「たいくつだ」「気にしない」「ガッカリした」といった言葉は普通語(Casual)で、この人はそれと丁寧な言葉(Polite)を知りたいらしい。
このへんの言葉なら語尾に「です・ます」を付ければ大抵はOK。
こんな感じで、「敬語の変化や使い方がむずかしい」というのは、日本語を学ぶ外国人あるあるの代表例で、これに困難を感じないのは日本で生まれ育った人だけ。
生徒と教師の間がらでも、英語なら「I’m not interested」(わたしには興味がない)でいいけど、日本でそれを言ったら、「そういうときは『ありません』だろっ!」と先生に怒られることは必然。
日本の場合、敬語が使えなかったら部下と上司の関係は成り立たず、会社は組織として機能しなくなるだろう。
それにしてもKeep Quite(黙れ・静かにしてください)はいいとして、海外では「Keep away from me」(近づくな・私の近くに来ないでください)という言葉をよく使うのだろうか?
これを見たアメリカ人が一言、「これだと「コズョ」だな」。
日本では敬語についてたまに、「欧米でも丁寧な言い方はあるけど、自分と相手の立場の違いを明確にする日本語の敬語のような表現はない。これは上下関係を重視する儒教の考え方に基づく」といった意見を聞くけど、日本以上に儒教の影響を強く受けたベトナムではそうでもない。
先ほどの外国人と違って、敬語の「です・ます」はほぼマスターしたベトナム人から聞いた話。
日本の会社でサラリーマンをしている彼があるとき、職場で日本人の上司に「めっちゃ大変です」と笑顔で言ったら、「そういうときは「とても」と言いなさい」と真顔で注意された。
語尾を変えるだけではダメだった。
それで「ごめんなさい」と言ったら、「そういうときは「すみません」か「申し訳ありません」だ」と言われてベトナムへ帰りたくなったとか。
これも彼の話だけど、ベトナムでは上司と部下の関係は日本ほど厳格ではなくて、かなり自由でユルい。
特に仕事が終わった後に食事や飲みに行くと、相手は上司というよりサークルの先輩や兄貴のような存在になる。
*彼は日本でサッカーサークルに入っている。
でも日本では、飲み会でも職場の上下関係をそのまま持ち込むから、ベトナム人の自分としてはあれには違和感があった。
ボクとしては、それでもその日本人は肩ひじ張らない無礼講のつもりだったと思う。
それは台湾でも同じらしい。
台湾は日本やベトナムと同じく儒教の影響を受けているけど、知人の台湾人が日本で働き始めたころは、上下や立場の違いを言葉や態度でハッキリ示す企業風土に戸惑ったという。
この前そのベトナム人にメールで敬語について聞いてみた。
外国人の中には、英語なら「I」だけしかない一人称が日本語では「わたし、わたくし、おれ、ぼく、わし、あたし」といくつもあって驚く人がいる。
これも自分と相手の関係によって変化するもので、考え方は敬語に直結している。
儒教を生んだ中国の場合、一人称は「我」で二人称は普通は「你」、敬意を込めるときは下に心がついて「您」(あなた様)になる。
ではベトナム語はどうか?
ベトナム語も日本語と同じく、一人称(I)には「Tôi」「Tao」「Tui」「Tớ」、二人称(you)なら「Ông」「Mày」「Cậu」など種類がいくつもある。
これ対人関係や立場しだいで、たとえば日本語の「おれ」はベトナム語では「Tao」になる。
ただベトナム語でも「~さんはいますか?」という敬語はあるけど、「~さんはいらっしゃいますか?」という日本語の敬語表現はないらしい。
だから彼には、こうした違いを理解するのが本当にむずかしい。
これと似た話は中国人からも聞いたことあって、相手や状況によって謙譲語・尊敬語・丁寧語を使い分ける日本語の敬語に比べれば、中国語はもっとシンプルらしい。
「です・ますの敬語がむずかしいです!」と言っている外国人の日本語学習者の中で、ここまでたどり着ける人は一体どれぐらいいるのだろう。
日本語の敬語表現の発展にはいろんな要素があるけど、日本独自のものを指摘するなら何と言っても神道だ。この日本の民族宗教と敬語にはこんな関係があるらしい。
浅田は神道の祝詞から敬語が発生したという説を提唱しており、太古には神々を崇めるための特別な言語形式であり、神との距離を図ったものである。事実、古代の敬語は祭祀を行う天皇のみが用いてきたもので、祝詞に敬語の萌芽が見られる。
欧米人やアジア人の日本語学習者を悩ませる敬語表現。
その背景には日本の長い歴史と深い文化がある。
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まあとりあえず、外国人がマスターすべき敬語としては、「です・ます」をつけるだけの丁寧語で十分ですよ。
その先の「尊敬語」「謙譲語」のところまで進むのは、日本人にとっても難しい。もしも、敬語を使う理由が「相手との立場の違いや上下関係を明示すること」だけであるならば、今後は、日本語システムから敬語は徐々に消えていくことでしょう。残念ではあるが、それはむしろ望ましいことであると私は思います。
あと一つ、学校ではめったに教えられないことですが、日本語において、敬語に並んで外国人には習得が難しい用法があります。それは、「男言葉」「女言葉」の使い分けです。これ、日本人だと成長するうちに自然にマスターしてしまうのであまり学校で習わないのでしょうが。これほど性的違いに基づく言語用法の違いがあるのは、おそらく日本語が世界一でしょうね。
LGBTやジェンダー・フリーの時代、“伝統的な正しい”日本語は、果たして今後も生き残っていけるのでしょうか?
千葉市のように「お母さん」が不適切な用語とみなされるケースもありますし、ジェンダー・フリーの傾向はこれからますます強まるでしょうね。
敬語より先に「男言葉」「女言葉」が廃れるかもしれません。
正直外国人が日本語を一生懸命に話しているとわかれば敬語じゃなくても嫌に思わないです。
暴言とかになると話は別になりますが…
そもそも日本語を学ぼうとしているだけでもいいんですけね。
まったくそういう気のない外国人もいますから。