16世紀の戦国時代に、ロドリゲスというポルトガル人の宣教師がやってきた。
語学の才能があったロドリゲスは日本語をマスターしたあと、ヨーロッパ人向けに日本語の手引きを作成する。
その中にあるこの文章を読んで、何のことか分かるだろうか。
*シナは中国のこと。現代では侮辱語になるからNG。
このシナ読みのほかに、日本人はこれらの文字が持っている意味に応じて彼らの固有の言葉で別の読みをそれに付与した
「日本人とは何か。 (PHP文庫) 山本 七平」
「シナ読み」というのは音読み、「彼らの固有の言葉で別の読み」というのは訓読みのこと。
この日本語の特徴はいまも同じで、日本語を学ぶ外国人なら、16世紀でも現代でもこの“鬼ハードル”を越えないといけないのだ。
ちなみにロドリゲスは豊臣秀吉からめちゃくちゃ気に入られて、一対一で夜まで語り合ったこともある。
辞書も印刷機も電気もなかった時代に、ここまで日本語を習得するなんてすごすぎだ。
彼についてくわしいことはここをクリック。
知り合いにアメリカの大学で言語学を学んでいて、日本で英語を教えながら日本語を学んでいたアメリカ人がいた。
でも2年ほどでギブアップ。
前にメールでやり取りしているときに、その理由をこう書いていた。
「kanji is what made me stop learning Japanese」
(わたしに日本語学習を断念させたもの、それは漢字)
単純に漢字を覚えるのが難しかったこともあるけど、このアメリカ人の場合は(他の外国人もそうだけど)、音読みと訓読みに悪戦苦闘してやがて力尽きた。
日本の漢字にはひとつの文字にいくつもの読み方があるから、場面に応じて適切なものを判断しないといけない。
このアメリカ人は、音読みと訓読みを覚えて使い分けるというハードルをクリアすることができずに無念のリタイア。
ロシア人が同じ悩みを抱えていたことは前に書いた。
このロシア人が知りたかったことは「“やま”は訓読みで日本語の読み方、“サン”は音読みで中国語の読み方です」ということではなくて、それを区別する方法だ。
どういう基準やきまりで「やま」になったり「サン」になるのか?
これは外国人から何度も質問されたから調べてみたけど、いまだに分からない。
進研ゼミのホームページでは小学生にちがいをこう説明している。
音読み:昔の中国の発音をもとにした読みで、聞いただけでは意味がわからないものが多い。
訓読み:漢字の意味を表す日本語の読みで、聞いただけでも意味がわかるものが多い。
でも、これはほぼ日本に生まれ育った人限定で、外国人からしたら「聞いただけでわかるかー」で終わり。
それにこれもひとつの参考でしかない。
小学校で門の漢字をならうけど、この音読みが「もん」で訓読みは「かど」というのを聞いただけでわかる小学生は少ないはずだ。
「菊」(きく)という音は訓読みっぽいけど、実はこれは音読み。
菊に訓読みはない。
漢字文化資料館のホームページを見ると本格的な説明がある。
それによると、音読みは必ず3文字以下になっている。
これは、中国語では漢字1文字が1音節で発音されるからだ。
「比」を「くらべる」と読んだり、「慌」を「あわただしい」と読むなど、4文字以上になる読み方は、訓読みだということになります。
でもこれもひとつの目安で、「やま」や「かど」のように訓読みで3文字以下のものもあるから、「1つ1つ個別に辞書で調べていくしかありません」とある。
結局、音読みと訓読みを分ける完全な方法はないということだ。
つまり、習うより慣れよ。
日本で生まれ育った人ならそれが自然にできるけど、日本語を学習する外国人にはてっぺんが見えないほど高い壁となる。
だから途中であきらめて、「kanji is what made me stop learning Japanese」となることも多い。
外国人が日本語を学ぶ外国人に漢字の読み方を説明する動画。
16世紀のロドリゲスと同じようなことをしている。
こちらもどうぞ。
日本よ、これが韓国人だ!ハングル文字への誇りや愛情。ハングルの日から。
神聖で汚いガンジス川①インドの裁判所、川に’人権’を認める。動画付き
音読み・訓読みで躓く外国人は、正直かなりレベル高い日本語使いこなせる人ですね。
レベル1:文法の違い
レベル2:同音異義語/一人称/二人称の多さ/3:接続詞の曖昧さ
レベル3:3種類の文字(ひらがな・カタカナ・漢字)
レベル4:尊敬語・丁寧語・謙譲語など
レベル5~:漢字(音・訓/組合せ)
という感じで苦労してると会社の外国人は言ってました。(レベル感は聞いていた私の主観ですが)
番外
レベル?:空気を読む(YES/NOの言葉と態度は別物)
皮肉(特に京都人の皮肉は日本人でも理解できない)
>このアメリカ人は、音読みと訓読みを覚えて使い分けるというハードルをクリアすることができずに無念のリタイア。
私もこのような米国人を知っています。ブリガム・ヤング大卒業の優れた理系の研究者で、モルモン教徒で、若い頃日本に住んでいた経験もあって日本語会話は非常に上手(TOEICだったら900点レベル)。でも漢字の読み書きはギブアップしてました。ところがその一方で、別に学者や研究者でなくても、会話がさほど上手でなくても、漢字の読み書きをそれなりに使いこなせる外国人もいるのです。
私が思うに、漢字の読み書きで引っ掛かる外国人(特に欧米人)は、正解とその理由にこだわり過ぎなのではないでしょうか? 彼らはいつも聞いてきます「この場合はどの読み方が正しいのか?」「その理由はどうしてか?」ってね。そんなの日本人だって分からん場合も多いのですよ。
日本語における漢字の読み方には、唯一の正解も、確たる理由もない。何とな~く、日本人同士ではその場の雰囲気やその土地の慣習で決まっているとしか言えない。日本には、「唯一の正しい言葉を記した書物である聖書」なんてものはないんです。また、別に間違ったっていいじゃないですか、そういう心構えが漢字の習得には必要だと考えます(少なくとも初歩的段階では)。
日本人が、概して、英語の読み書き能力の高さに比べて英会話が苦手なことも、その根っこは同じような理由ではないのかな。
そのレベル分けはいろんな外国人に通じますね。
漢字が多い新聞が読みやすいという台湾人・香港人・中国人は特別ですが。
日本に1年いたインドネシア人留学生とさいきん話をしましたが、彼も空気を読むのに苦労しました。
日本人とは理由も分からずに関係が疎遠になって終わってしまったことが何度かあったとか。
>正解とその理由にこだわり過ぎなのではないでしょうか? 彼らはいつも聞いてきます「この場合はどの読み方が正しいのか?」「その理由はどうしてか?」ってね。
これは私にも心当たりがあります。
日本人だって知らない明確なルールを追及して疲れてしまう。頭がいいから納得しないと気が済まないのかもしれませんが。
理由は分からないけど、個別に覚えるしかないこともあります。
日本人もネイティブが知らない明確なルールや判断法を求めていると思います。
英会話講師のイギリス人から、日本人の生徒に「will」と「be going to」の違いを聞かれて困ったと聞きました。