江戸時代の日本で、大きな川に橋がなかった二つの理由

 

ボクの住む美しい(いや余分)静岡県には「越すに越されぬ大井川」がある。

江戸時代、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と言われたことにはワケがあって、当時の大井川には橋がかけられていなかった。

 

「橋のない川」を渡るには、こうした川越人夫に頼むのが一般的

 

めちゃくちゃ不便なのに、なんで大井川に橋がなかったのか?
じつはそれが江戸幕府の方針だったからで、その理由はおもに二つある。

まずは当時の技術が未熟だったため。
日本は昔から高温多湿で、世界的にも大量の雨が降る国だ。
21世紀のいまでさえ増水すると鉄橋が流されることもあるのだから、江戸時代の技術力で、ずっとつぶれない木造の橋をつくるなんてことはインポッシブル。
治水の技術をふくめ、そんな橋をつくることは当時の日本人には技術的にむずかしかった。

 

そしてもうひとつは江戸幕府を守るため。
世界史の「パックス・ロマーナ(ローマの平和)をもじって、「パックス・トクガワーナ」と呼ばれるほど、江戸時代は同時代の海外に比べれば超絶平和。

その理由は徳川幕府が倒されないよう未来の倒幕運動を想定し、未然に防ぐような幕藩体制がとられていたから。
その象徴が外様・譜代・親藩の各大名で、大ざっぱに言うとこんな感じ。

外様:関ヶ原の戦いの後やその少し前に徳川側に味方した大名で、信用性に欠けて幕府からは警戒されていた。基本的には江戸や京都、大坂さらには東海道沿いなど、戦略上重要とされるところに藩が置かれなかった。

譜代:関ヶ原の戦いの前から、代々に渡って徳川家に仕えていた信用性の高い大名。基本的に江戸に近いところに藩が配置された。

親藩:徳川家康の男系男子の子孫から始まった藩で、討幕軍をおさえるための要地に藩を配置された。
尾張・紀州・水戸の御三家が特に有名。

 

これらの配置はすべて徳川幕府を守るため。
それと同時に幕府は地方から上京する反乱軍を想定し、軍隊をすぐに江戸へおくることができないよう大きな川に橋をかけることを禁止した。

 

ということで二番目がえらく長くなったけど、そんな技術的・軍事的な理由によって、大井川をふくめて江戸時代の大きな川には橋がなかったのだ。
細かくいえば他にもある。
川が増水して通行人が足止めされると、地元の料理屋や宿屋がもうかるから、あえて橋をかけなかったという説もある。

ちなみに徳川家光の弟・忠長が1626年に、独断で大井川に橋をつくったところ、激怒した家光から蟄居を命じられた。
江戸幕府にとって、川に橋をかけるというのは本当に重大事だった。

*このへんは国土交通省のコラム「江戸時代を中心とした道にかかわるエピソード」を参照しますた。

 

これはおまけ。

こうした「江戸幕府・絶対防護システム」をもってしても、江戸城が落とされてしまうかもしれない。
そう考えた幕府は、将軍だけは逃さないといけないから甲州街道という緊急脱出ルートを用意していた。

4組から成る鉄砲百人組が配置されており、鉄砲兵力が将軍と共に甲府までいったん避難した後に江戸城奪還を図るためであるという。

甲州街道

 

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6 件のコメント

  • 神奈川にいたときは旅行=伊豆だったので静岡は十分に美しいと思います(伊豆にかぎる)

    あと一応「パックス・エドガワーナ」

  • >21世紀のいまでさえ増水すると鉄橋が流されることもあるのだから、江戸時代の技術力で、ずっとつぶれない木造の橋をつくるなんてことはインポッシブル。
    > 治水の技術をふくめ、そんな橋をつくることは当時の日本人には技術的にむずかしかった。

    昨今の集中豪雨での災害に絡めてなのか?誰がそんな主張をしたのか知りませんが、全くのデタラメですね。
    そのように主張する人は、江戸時代の土木工事技術について何か知っているのでしょうか?
    デタラメである証拠は、江戸とか京・大阪の町内には、恒久的に使用された立派な木造の橋が、いくつもかけられていることから明らかですね。そもそも、その技術があったからこそ、忠長は勝手に大井川に橋をかけることができたのでしょう?
    「その技術が十分にないから危険なので橋を架けない」これは、本来の治安上の理由を隠して、(忠長を厳罰に処したことに対しても)表向きは別の理由にしたかった、むしろ江戸幕府が言いそうな言い訳ですね。

    治水も、出戸を始め様々な諸国において、当時の先人達は苦労をしながら立派にその仕事をいくつも成し遂げていますよ。そういった事実を確かめもしないで、「治水も含めてそれだけの建設技術がなかった」などと当時の人々の知恵を無視して非現実的な理由を第一に持ってくるのは、自虐史観的な先入観だけで判断する、歪んだ偏った見方だと思います。

  • 前提は大井川のような大きな川です。
    江戸とか京・大阪の町内にそんな川があって、恒久的に使用された立派な木造橋がありましたか?

    2020年のいまでも洪水で多くの人が亡くなっています。現代の日本の技術力をもってしても川をコントロールすることはできません。
    治水において江戸時代にも立派な技術があったと思いますが、いまとは比較にならないと思います。

  • 途中送信かなんかでまぎらわしいことになってますねw
    「パックス・エドガワーナ」になってますよってことで(江戸川の平和)

    たしかに江戸川河川敷の風景は平和そのもの

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。