仏教と宝くじの国・タイで感じた不思議:物欲と信仰の両立

 

きのう9月2日は「宝くじの日」だった。

日本の宝くじの始まりは戦国時代や江戸時代にあるという説もあるんだが、現在の宝くじに直接つながるものなら、太平洋戦争末期の昭和20年7月に、軍事費を得るため日本政府が販売した「富くじ」(勝札:かちふだ)だ。

1枚10円、1等10万円の勝札を販売してその収益を戦争のために使おうと政府は考えていたけど、抽せん日がくる前にまさかの敗戦。
それでこの札は“負札(まけふだ)”と呼ばれるようになった。

宝くじの歴史については「宝くじ公式サイト」をチェックされたし。

 

いままでボクが行った国のなかで、宝くじに対して最も熱意があってどん欲だったのはタイの人たち。
お金の話になるとほほ笑みが消えて、楽して大金を得るために全力投球するのがタイ人。(のように見えた)

そんなタイでは宝くじの販売所が路上のいたるところにあるし、売り子がカラオケ屋やレストランにやってくることもあったから、本当にいつでもどこでも買うことができる。
タイは日本と比較にならないほどの宝くじ先進国で、需要があり過ぎる。

 

タイの宝くじ
画像はKpopfansince09

 

そんなタイを旅行して驚いたのは、宝くじ販売所がお寺のまわりやときには境内にあったこと。
日本でも宝くじの神社があるから目くそ鼻くそだけど、「楽して儲けたい」という物欲は仏教の大敵である煩悩そのものじゃね?
さらに言えば「一攫千金」なんて発想は、仏教であらゆる煩悩の源となる「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の三毒にかかわるものだ。

貪(貪欲)とは必要以上に求めるむさぼりの心で、金・物・名誉など自分の欲望に執着すること。
瞋は憎悪の心で、癡とは真理に対する無知(おろかさ)のことをいう。

「宝くじを当てて大金持ちになる!」という心は貪に相当するかそれを生み出すもので、こういう煩悩をなくすために仏教があると思うのだけど、タイでは宝くじ販売所がお寺と“表裏一体”になっているという不思議。

 

三毒を動物で表現した絵
鶏は貪、蛇は瞋、豚は癡の象徴

 

「なんでお寺のまわりで、平気で宝くじを売っているんだ?」とタイ人に聞くと、「ブッダにお供え物をして祈ると運気が上がるから、その状態ですぐに宝くじを買いたいからじゃないの?」と言う。
これはこの人の個人的な理由かタイ人の一般的な認識かわからないけど(たぶん理由なんて考えていない)、でもこれでは、仏教が煩悩を加速増大しているようにしか見えない。

でもタイ人が言うには、もし宝くじに当たったら、そのお寺に行ってお坊さんや仏像に感謝の気持ちを表しお供え物をして、よろこびと儲けをシェアするから問題ない。
それに「あのお寺で祈ったら宝くじが当たった!」という評判が立つと、寺としてもそれなりにおいしいらしい。

ツッコミどころは多々あるけど、とにかくこうやって、タイ人は信仰と金儲けを矛盾なく両立させているようら。

でも日本にも「汚く儲けてきれいに使え」という言葉があるように、金の稼ぎ方より使い方を重視する考え方はあるから、発想としては仏に祈って宝くじを買うタイ人と同じだろう。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。