チャイナドレスを着た女優の夏菜さんが、三吉彩花さんと高橋克典さんとの3ショットをインスタグラムで公開したってさ。
これはドラマの宣伝で、チャイナドレスを着た夏菜さんにはファンから「似合ってて可愛い〜」「反則」「スタイル抜群ですね!」などの声が集まりました!
というネットニュースを見てこのインスタ投稿を知りました。
日本では芸能人が中国のチャイナドレスやインドのサリーを着ても、特に批判の声は上がらない。
問題になるとすれば、似合っているかどうか?着方は正しいか?といったところ。
これは中国でも同じで、このまえ中国人のアイドルが浴衣を着た写真をSNSに投稿したのを見たけど、それを見て怒った中国人は見当たらない。
でもアメリカなら、きっとそんな無風ではいられない。
もし有名な白人女性が着物やチャイナドレスを着たらSJWが怒り狂って、SNSで批判メッセージを連投して炎上させ、その有名人は公式謝罪に追い込まれる。
SJWというのは「Social justice warrior」(ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー)のことで、フェミニズム・人権・文化多様性などにおいて、「自分は進歩的な考え方を持っている」と勝手に思いこみ、そんな社会的正義を実現させるために活動する戦士のことをいう。
もともとはどちらかというと良い意味のことばだったけど、自分勝手な正義を押し付ける迷惑な連中が多いことから、いまでは軽蔑的なニュアンスが強い。
この言葉は、そう言われた人の行動原理が「社会に深く根差した信念体系ではなく個人的な物差し」に基づいていることを揶揄することで、その人を萎縮させる意図があるとも言われる。
怒って相手を萎縮させ、その言動を止めさせるというのがポイント。
自分の価値観や考え方を絶対正義と信じて、それに合わない行動をすると過激な手段で非難や抗議をおこなうのがSJW。
日本にもこういう人がいて、マスクをしていない人をとつぜん怒鳴りつける「警察警察」や店の入り口に「早く閉めろ」とビラを貼って回る「自粛警察」がこれに当たる。
世界から旭日旗をなくそうとする韓国の「旭日旗ポリス」もSJWの一種で、自分の理想とする社会的正義を実現するためになら、迷惑行為もいとまないという人は世界のどこにでもいる。
*もちろん正義を自称する人はそれを迷惑行為と思っていない。
アメリカには「人種差別ポリス」や「文化盗用ポリス」がいて、自分が属する民族以外の衣装やアイテムを使うと、「文化を盗んだ!それは差別だ!」と怒り出すSJWがいる。
それできょねん不幸なことがあった。
日本好きのアリアナ・グランデさんが日本語の間違いを指摘されたり、歌詞やグッズに日本語を取り入れたことを「cultural appropriation(文化盗用)」と非難されて心が折れて、もう日本語のレッスンはやめて日本と距離を置くと言い出した。
くわしいことはこの記事を。
ソーシャル・ジャスティス・ウォリアーは大体のばあい数としては少数だけど、戦士というだけあって闘争心が強いし何より声がデカい。
だからこういう人たちのメール攻撃に疲れて、その主張に従う人もいる。
知人のアメリカ人にはこれが不満で、人種差別がらみで文化盗用批判をする攻撃的なSJWがいて、いまアメリカ社会全体が彼らの望む方向へ引っ張られているという。
でもこれは日本も他人ごとではない。
こちらの記事もどうですか?
浜ちゃんの”黒メーク騒動”。日本と欧米の人種差別意識の違い。
「社会的正義」と言っていますが、こういうのが社会に拡がると、結局は差別になってしまうのです。
そのようなリスクを常に念頭に置いておくべき。軽々しく真似たりするのは考えものです。
ものすごく久しぶりにやってまいりました。
自分が属する民族以外の衣装やアイテムを使うと盗用だ、差別だという考えは理解できないし、浅はかで愚かやと思う。
相手(異文化)のことをよく知り、触れ、リスペクトの上で取り入れることは大いに素晴らしいと思うが…。こうゆうのを騒ぎ出すやつらの考えでいくと、古来より中国や欧米の文化を取り入れさらに独自に発展していった日本は完全否定やし、アリアナ以外でも語学を学んでる人は全てNGになるんですよね。自国語だけを使えってんなら。文化交流なんてあったもんじゃない。
少なくとも語学を学ぶ人たちは、その国に興味を持ったり、好きやったりするから学ぶんであって、その国を差別、攻撃するために言葉を覚えようなんて回りくどいやつはいないでしょ。だからそこにあるのは差別、盗用ではなくてリスペクトなんですよ。
以前あったギャルソンのコーンロウだってそう。むしろ騒ぎ立ててるやつらの、コーンロウ=黒人ってゆう強烈な決めつけの方が差別的やと思うね。
こーゆう流れは、より文化的に進んでるとは思えない。世の中の分断を強めていく流れ…移民排除とか国境に壁とかと同じ程度の話ですよ。
多様性って、自分は自分、アンタはアンタでそれぞれが勝手にバラバラになるんではなく、お互いのことを受け入れて、敬意をもって手を取り合ったり混じり合ったりすることやと思います。つまり分断ではなく融和、融合。
お久しぶりですね。
この文化盗用の考え方は日本では少ないのですが、ネットを見ると文句を言う人はいます。
もはや死語ですが、「意識高い系」でしょうか。
侮辱する意図がなければ、誰がどこの衣装を着ようが自由なんですけどね。