ピクニックやホームパーティーなんかで外国人といろんな食べ物をシェアしてると、ときどき最後のひとつがお皿の上にいつまでも残ってることがある。
「わたしはいいですから、あなたがどうぞ」という無言のメッセージがプレッシャーとなり、手を伸ばしづらい雰囲気になることは日本でよくあるけど、これは外国人の間でも同じらしい。
こんな感じに皿の上に最後の一個が残ることを関西ではよく「遠慮のかたまり」と言う。
毎日放送の「ちちんぷいぷい(へえ~のコトノハ)」(2020年10月14日放送)でそんな「遠慮のかたまり」について取り上げて、Jタウンネット東京都がそれを記事で紹介していた。(2020年10月25日)
遠慮のかたまり、いっちょ残し… お皿に残った「最後の1つ」のこと、何と呼んでる?
最後のひとつが残ると、「『遠慮のかたまり』どうぞ」と他人にすすめる光景は関西ではよくあるという。
なんで関西の人たちはわざわざ口に出してそう言うのか?
方言に詳しい東京女子大学の篠崎晃一教授がその理由をこう説明。
「『関西人はせっかちだ』と言われますけど、遠回しな言い回しってしたくないんですね。残っていることを遠慮の象徴だと捉えて、あえてみんなに『どうぞ』と言うことで、食べる人の罪悪感を和らげているということ」
こんな背景は知らなかったけど、ボクは大学時代、京都に住んでいたから「遠慮のかたまり」は聞いていた。
以前、香港人の女性と話しているときにこの話題を出したところ、「日本人が素晴らしいのはそういうところですよ。みんな相手に配慮して自分は遠慮する。香港人とはそこが違います」と言う。
なるほど。
で具体例は?
例えば混雑ぎみの電車の中で座っていた乗客が降りて空席がうまれると、「あなたがどうぞ」「いえいえ、わたしはいいですから、あなたが」と乗客同士が譲り合って座ろうとしない。
「香港人なら逆ですね。「わたしが先っ!」「いやわたしがっ!」とケンカになります。わたしはそんな場面を香港で何度も見ました。でも、日本に来てからは一度も見たことがありません。譲り合うのは男性も女性もやっていました。香港人は見習う必要がありますよ」
とその香港人は、電車の中で見た日本人の「ゆずり合い精神」を激ホメ。
香港は人口密度が高いからそういう心の余裕がない、というのが彼女の意見。
他にも、この香港人を助手席に乗せてドライブをしているときにこんなことがあった。
反対車線にいた渋滞中のドライバーが前に詰めずにスペースを開けていて、ボクがそこを右折すると、そこでも「日本人は本当にやさしい!」と言う。
「香港人なら右折車両のことより、まず自分が先に行くことを考えます。だから、スペースなんてできません。こういう配慮が自然にできるところが、日本人のとても良いところですよ」
そうアゲテくれるけど、でも長所と短所は裏表。
日本人は自分を後回しにして他人を優先するから、その香港人には、目の前の日本人の言うことが本当の気持ちかどうか分からないことがあって、面倒くさく思うこともある。
香港社会では「空気を読む」ということがあまりないらしい。
でも、基本的に「遠慮のかたまり」は美点だ。
では最後に、コリン・ジョイスというイギリス人ジャーナリストが見た「電車の日本人」を紹介しよう。
電車の中でふたり連れが立っている。座席がひとつ空く。おたがい譲り合った後に、ようやくひとりが席につくと、必ずその人は立っている人の荷物を持ってやろうと手を差し出す。こんな心温まる小さな親切は、ぼくは日本以外で見たことがない。ああ、これこそ日本。
「『ニッポン社会』入門 ( 生活人新書)」
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> 長所と短所は裏表。
まさにその通りであり、当人同士は遠慮しあっているのかもしれないが、周囲にはハタ迷惑な場合もあります。
例えば満員電車で座席を譲り合っていつまでも座らない人たちがいれば、私なんか、「どっちでもいいから早く座れよ、座席を空けて立っていたら皆の邪魔だよ」と思いますね。
また、自動車での進路の譲り合いにしても、度を超えていれば周囲からの予想を外れた意外な運転になってしまう場合があり(おいおい、こんな風に動くかよ!)、最悪、それが事故を起こす原因にもなり得ます。
別に我先に競争する必要はありませんが、譲り合いもほどほどに。いつまでも譲り合って行動を停めていないで、さっさと決断し実行することも現代社会では重要であると思うのですよ。