この前の正月休みにインド人とタイ人と一緒に古民家へ行って、そこの囲炉裏でお餅を食った。(上の写真)
「囲炉裏で焼き餅」は日本の冬の定義でもある、とかテキトーなことを言ったあと、きょねん広島から越してきたインド人から「浜松でも“どんどん焼き”がありますか?」ときかれる。
「それなら駄菓子屋にあるのでは?でも、いま浜松のどこに駄菓子屋があるか分からない」と答えると、「いいえ、“どんど焼き”です」と言う。
え?
まさかヒンドゥー教徒のインド人の口から、日本の小正月におこなう火祭りの行事「どんど焼き」が出てくるとは。
なるほどこれが国際化か。
たしかに全国でみられる風習だけど、これを知らない日本人もけっこういるだろう。
だからてっきり、こっちのことかと…。
画像は公式HPのキャプチャー
日本では正月になると、こんなしめ飾りや門松を飾る風習が全国各地にある。
新年になると年神(歳神)さまが家にやって来て、その家庭に幸せや幸運、繁栄などをもたらしてくれる。
日本にはそんな考え方が古くからあるから、正月とは、その神さまを家にお迎えしてとどまってもらう期間になる。
年神はしめ飾りのある家にやって来て門松に宿るという。
言ってみればしめ飾りは神を迎える準備ができたというサインで、門松はやって来た神の滞在するところ(依り代)だ。
明治時代に生まれて日本の民俗学の基礎を築いた折口 信夫(おりくち しのぶ)は、門松の由来についてこう書いている。
歳神と言ふのは、毎年春の初めに、空か山の上かゝら来る神で、年の暮れに村人が歳神迎へに行く。其時には、山の中の神の宿る木を見つけて、其木に神の魂を載せて帰る。
「鬼の話 (折口 信夫)」
民俗学者で国文学者、さらに詩人や歌人でもあった折口 信夫(1887年 – 1953年)
江戸時代までの日本の正月は旧暦(春の初め)だったから、現在の西暦とは時期が違う。
大昔の日本では年末になると村人が山や森に入っていって、神の魂の宿る木(松)を見つけてそれを家に持ってきたらしい。
現代の日本人にはそんなことをする余裕はないから、いまでは神様の方からこちらへやって来てくれる。
そのために必要なのがしめ飾りと門松だ。
年神はお客様だから、一定の期間が過ぎたら山かどこかの世界へ帰っていく。
それがきょう1月14日で、この日は正月飾りのしめ飾りや門松を取り外す「飾納」(かざりおさめ)、「松納」(まつおさめ)になっている。
*地域によって日は違うけど、1月14日に行われることが多い。
外した正月飾りを家人が神社や田んぼなどへ持って行き、そこに集められた飾りはまとめて火で燃やされる。
その火祭りの行事を左義長という。
とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼き、おんべ焼きなど、地方によって呼び方はさまざまあるけど目的は同じ。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。
日本の正月はこれで完全におしまい。
広島で行われるどんど焼き
車と比較するとこの“塔”の大きさがわかる。
神様を送り出すこの火はとてもめでたく神聖なものだから、書き初めで書いた物を焼いて、その炎が高く上がると字が上達するともいわれる。
江戸時代の雪国の様子を記した『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)にはこんな記述がある。
「此火にて餅をやきてくらふ、病をのぞくといふ世にふるくありし事なり」
左義長(どんど焼き)の火でお餅を焼いて、無病息災を願ってそれを食べる風習が古来からあった。
「浜松でも“どんど焼き”がありますか?」ときいたインド人も、広島でそのお餅を食べたことがある。
正直言って、モチモチねばねばした食感は嫌いだったけど、実際その年は病気にならなかった。
それで彼はこの日本の風習が好きになって、ことしは浜松でもどんど焼きで焼いたお餅を食べてみたいと思ったという。
無病息災は時代や国境を越えた人類共通の願いから、この日本文化はきっと世界に通じる。
江戸時代の左義長
では最後は、昭和の日本へやって来て、桂離宮の魅力を世界に紹介した世界的な建築家、ブルーノ・タウトの言葉で締めくくろう。
「日本は実に、太初以来その固有の独自な文化を、外部の妨害を受けることなく自主的に今日にいたるまで進展させ得たところの国土である。」
まさにその通り。
ブルーノ・タウト
日光東照宮に出かけて、その過剰な装飾を嫌ったタウトは日記に「建築の堕落だ」とまで書いて罵倒した。後にタウトが桂離宮や伊勢神宮を皇室芸術と呼んで持ち上げ、東照宮を将軍芸術と呼んで嫌悪する下地はこの時にできた。
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今は火事になるからとかなり広い空地や学校の校庭でないとできないし、近隣からも苦情出るし。自治体配布のカレンダーにも今は書かれなくなったのもその所為かと。
昔は成人式の前日=14日という認識だったが今はそれすら無し。
よほど地方の田舎でないと廃れていく風物詩の一つに。
残念なことです。