バングラデシュ人がみた日本:幸運で、太古から変わらない国

 

2月14日のバレンタインデーに、5人のバングラデシュ人と静岡県にある山に登った。
上のような駿河湾が一望できるところで、「信じられないほどきれい!」とよろこぶ彼らの写真撮影祭りが終わったあと、みんなでランチを食べる。
そのときに3日前の「建国記念の日」が話題になって、バングラデシュ人から母国の歴史や、彼らからみた日本について話を聞いたので今回はそれを書いていこう。

バングラデシュには建国記念日があるけど日本にそんな日はなく、代わりに建国記念の日がある。
この「の」が付いているかどうかは決定的に違っていて、バングラデシュ人に言わせると日本はとてもラッキーな国だ。

 

 

バングラデシュってこんな国

面積:14万7千平方キロメートル(日本の約4割)
人口:1億6,555万人(2019年)
首都:ダッカ
民族:ベンガル人が大部分を占める。
言語:ベンガル語、成人(15歳以上)の識字率は72.9%(2019年)

以上の数字は外務省ホームページの「バングラデシュ人民共和国(People’s Republic of Bangladesh)基礎データ」から。

 

バングラデシュの国旗は緑に赤い丸というシンプルなデザインで、日本の国旗とよく似ている。
彼らの話では、これは日の丸と同じで昇る太陽を表しているけれど、赤色は人の「血」であるところが日本と違う。

 

 

インドがイギリスから独立したとき、ヒンドゥー教徒の多いインドとイスラーム教徒の多いパキスタンは別々の国家となって分離独立した。
当時のパキスタンは、西パキスタン(いまのパキスタン)と東パキスタン(バングラデシュ)の飛び地で構成されていた。

それぞれの中心都市イスラマバード(パキスタン)とダッカ(バングラデシュ)の距離は約2000キロとあまりに遠くて、同じ国として存続するにはおそろく不便。

でもそんな距離よりも、バングラデシュ人にとって問題だったのは、西パキスタンが東パキスタンを実質的に支配していたこと。
その象徴が言語で、西パキスタンのウルドゥー語が東パキスタンでも公用語となってベンガル語は排除された。
バングラデシュとは「ベンガル人(バングラ)の国(デシュ)」という意味で、母語のベンガル語を無視された東パキスタンの人たちは怒り、西パキスタンに抗議してそれが独立戦争へとつながる。

*バングラデシュ人がパキスタンから独立した大きな理由に「ベンガル語を守るため」というものがあった。
彼らは母語に強い誇りを持っているから、こんなことも起こる。

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西パキスタンに対して独立宣言を行った1971年3月26日が、現在ではバングラデシュの独立記念日になっていて、同時にこの日が建国記念日でもある。
バングラデシュはことしで建国50年だから、国としてはかなり新しい。

「自由」はタダじゃない。
それを手に入れるためには犠牲が必要で、バングラデシュ人が言うには、西パキスタンへの抗議運動や独立戦争で約300万人の命が失われた。
国旗の赤い丸は、独立のために戦った人たち(フリーダム・ファイター)が流した血を表しているという。

 

 

バングラデシュと違って日本には、他国に支配されたあと戦って独立を達成した歴史がない。
日の丸は単純に太陽だけを表していて「血」の意味はなく、国旗を見るたびに国家の犠牲者を思って敬意を払うという発想もない。

島国の日本は四方を海に囲まれていて、歴史的に巨大な堀に守られてきたから、大陸にあるバングラデシュとはたどった運命がまったく違う。
このときのバングラデシュ人からみると、敵に支配され蹂躙されたことのない日本はとても幸運だった。

そんな話を聞いて、19世紀の日本へやって来た中国(清)の外交官・黄 遵憲(こう じゅんけん:1848年 – 1905)を思い出した。
彼は日本と中国の違いについてこう語る。

日本は国として、大海の中に悠然と独立していて、他国とは隣接していない、〇〇神武事件以来、2500余年、1つの国でも他人に与えたことなく、一寸の国土を他人から得たこともない。日本が古代からずっと変わらずに、このようにできたのは、また奇になることである。

「文人外交官の明治日本 (柏書房) 張偉雄」

花見をはじめ、日本の文化を中国に紹介した黄 遵憲は日中の架け橋となった。

 

この「神武事件以来、2500余年」というのは、紀元前660年に初代天皇とされる神武天皇が即位したことを指すのだろう。
旧暦の紀元前660年1月1日は西洋暦では2月11日になるから、この日がいまの「建国記念の日」となった。
でも神武天皇の即位は神話の話だから、バングラデシュの1971年3月26日と違って、日本が何年何月何日にできたのかなんて誰にも分からない。
日本の建国記念日は「不明」ながらも、神話に基づいて日本が建国されたことを祝おうということで「記念の日」となった。

日本ははるか昔に成立してから、一度も異民族に支配された歴史がない。
バングラデシュ人は戦って独立を達成したことを誇りに思う一方で、そのために流された血を思うと胸が締め付けられると言う。
しかもそれは50年ほど前のことだから、その地獄を直接経験した人はいまもたくさんいる。
そんな母国と比べると、外国の植民地になることはなく、紀元前から現在までつづく日本のような国はとても珍しくて、素晴らしくもみえる。

何のことはない。
このバングラデシュ人の言っていることは、「日本は国として、大海の中に悠然と独立していて、古代からずっと変わらずに、このようにできたのは、また奇になることである」という19世紀の中国人の感想と変わらない。
歴史が古すぎて建国記念日が分からず、「の日」としないといけない国は世界で日本以外にどれだけあるのか。

 

おまけ

バングラデシュの首都ダッカでは、クラクションが四方八方から攻めてきた。
インドの都市部もこれと似たようなもの。

 

 

 

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2 件のコメント

  • > バングラデシュには建国記念日があるけど日本にそんな日はなく、代わりに建国記念の日がある。
    > この「の」が付いているかどうかは決定的に違っていて、・・・

    果たしてそうかなぁ? 私には意味が全く分かりません。
    私にとっては、「建国記念日」も、「建国記念の日」も、「建国の記念日」も、「建国を記念する日」も、全部同じ意味にしか考えられないですね。文字数以外に、いったい何が決定的に違うのですか?

  • バングラデシュ(=ベンガル人の国)とか、ミャンマーとか、そのミャンマー内にたどりついたロヒンギャ族(彼らも元々はベンガル人だったと言われています)とかの歴史をみるにつけ、日本は四方を海で囲まれて大陸とは切り離されていた島国で、本当にラッキーだったと思います。少なくとも古代から江戸時代末期までは、海があったおかげで、異民族の大規模な侵入や、外国勢力との戦争を何度も経験せずに済んだのですから。
    大陸と地続きであれば、悲劇的な歴史は避けられません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。