【マジか!】外国人が驚く日本の識字率、そのワケは江戸時代に

 

ほんじつ9月8日は『ゆるキャン△』の犬山あおい風に言うと、ユネスコが定めた国際デーのひとつ国際識字デーやでー。(International Literacy Day)
文字を読んで書いて理解できることを識字(Literacy)という。
いまの日本では情報を取捨選択し、正しく理解する能力をリテラシー(情報リテラシー)と表現する。

1965年9月8日にイランの首都テヘランで開かれた国際会議で、パーレビ国王が軍事費を識字教育に回すこと(全部じゃないよ)を、世界に提案したことからこの国際識字デーがつくられた。

この面において日本は世界の優等生。
日本が世界有数の先進国になった大きな要因には国民の識字率の高さがあって、これが昔から外国人を驚かせてきた。

 

数年前にイギリス人の夫婦が日本へやって来て、ボクが彼らを案内することとなる。
浜松市に観光スポットはてんこ盛りなんだが、外国人が好きそうなところといえばやっぱここ。

 

 

「家康くん」の由来にもなった浜松城の中を歩いていると、「これはなに?」とイギリス人が指さす先にはこの高札があった。

 

 

高札(こうさつ・たかふだ)は江戸時代、新しいきまりや禁止事項、犯罪人の罪状などを書いた板で、これを街中に設置して広く国民に情報を伝えた。
大勢の庶民が高札の前に集まって、「なんだよ~、今度から〇〇は禁止かよ~」となげく場面から始まるアニメや時代劇もありそう。
ちなみにこれが廃止されたのは明治6(1873)年ナリ。

「これは高札といって、江戸時代の民衆はこれを見て法令を知ったんです」と言うと、「マジで!」と目を丸くして驚くイギリス人にこっちが驚いたわ。
でも、2~300年前の一般人が文字を読んで、その内容を理解することができたという事実は彼ら的にはビックリ。
都市部や地方、年齢によって識字率は大きく違っていたけど、これを読めた庶民は江戸時代の日本ではめずらしくなかったはず。
それを聞いた彼らは、

「それはすごいですね。イギリスではその時代、文字は知識階級のモノで一般人にはほとんど関係ありませんでした」

と感心する。
数百年前のイギリスでは新しいきまりを読み上げ、庶民に伝える人がいて映画やドラマでそんな場面がよく出てくるらしい。
「ハリーポッターにも確かそんなシーンがあった」と夫が言ってたけど、ボクは見てないから知らない。

ヨーロッパでも時代が進むにつれ識字率も向上した。が、それが飛躍的に上昇したのは産業革命が起きてからのこと。

これは産業革命の開始によって識字能力が業務上多くの職種において必須となり、国力を増進させたい国家と生活水準を上昇させたい市民がともに識字能力を強く求めるようになったからである。

識字・ヨーロッパ

日本語を学ぶ外国人にとっては、3種類の文字を同時に使うというのは高い壁。

 

文字は上級国民のもので、庶民には縁のないもの。
昔は世界的にそんな認識があったから、日本に来てみて識字率の高さ、読み書きのできる庶民に瞠目した外国人さんは数知れずいる。

15世紀に朝鮮通信使のひとりとして来日した申叔舟(シン・スクチュ)は、「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と手記に記録した。

幕末にいたロシア人のゴロウニンは、「全体として国民を他国民と比較すれば、日本人は最も教育の進んだ国民である。日本には読み書きのできない人間や法律を知らない人間は一人もいない」と言う。
同じく幕末、ドイツ人のヴェルトナーはこう述べた。

「民衆教育についてわれわれが観察したところによれば、読み書きが全然できない文盲は全体の1パーセントにすぎない。世界の他のどこの国が、自国についてこのようなことを主張できようか?」

「エルベ号艦長幕末記 (新人物往来社) ヴェルナー」

 

日本の識字率が世界的にも高かった理由はてんこ盛りある。
そもそも江戸時代は全体的に戦争のない平和な時代がつづいたことで、人々は経済活動や教育に力を入れることができた。
そしてお寺につくられた学校、いわゆる寺子屋が全国各地に登場して庶民に「読み書きそろばん」を教えた。

江戸時代末期の日本の都市部で、識字率が世界最高水準(ナンバーワンかも)にあったのは寺子屋の影響がデカかった。

江戸における嘉永年間(1850年頃)の就学率は70-86%といわれており、イギリスの主な工業都市で20-25%(1837年)、フランスで1.4%(1793年)、ロシア帝国時代のモスクワで20%(1850年)などの外国に比べ就学率が格段に高かった。

寺子屋 

 

そして江戸時代、この寺子屋と高札はコラボすることもあったのだ。
高札の内容はできるだけ多くの民衆に伝える必要があったから、その文章は仮名をたくさん使って分かりやすくした。
これが文字をならうテキストとしてちょうどよかった。

高札に掲示された法令に関しては「万民に周知の事」と言う理由で簡単に出版が許されたばかりでなく、高札の文章は寺子屋の書き取りの教科書としても推奨されていた。

高札 

 

昔の外国人が「日本人は最も教育の進んだ国民である」と驚嘆し、現代のイギリス人が「マジで!」と驚いた背景には江戸時代の長い積み重ねがある。

 

 

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1 個のコメント

  • 「高札」などの法令あるいは通達を庶民が読めないとしたら、庶民を支配するためには、暴力あるいは口頭命令によって言うことをきかせるしかありません。それがとても非効率で面倒な方法であることを知っていたからこそ、江戸時代の為政者たちは「庶民を教育する」という方法を選択したのでしょう。文字が使えず証文も読めない者が相手では、金勘定させることも、利益をピンはねすることも、借金をすることもできないですし。
    でもそれは、他国から侵略される恐れも移民が押し寄せる恐れも少なく、国内の人種・文化・民族・言語がほぼ統一されていた島国日本だからこそ、可能な選択だったのですが。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。