【心に壁】格差や差別…。統一後のドイツをみた日本人の感想

 

3日前の11月9日は「太陽暦採用記念日」だった。
明治政府が1872(明治5)年のこの日、それまでの太陰暦をやめて太陽暦を採用することを発表する。
つまり江戸時代まで使っていた旧暦を廃止して、現代までつづく新暦が始まったってこと。
*具体的には明治5年12月2日の翌日が、新暦の明治6年1月1日になった。

旧暦をなくすなんて、そんなコト考えたのは一体どいつだよ。
うん?ドイツ?
偶然、その国名が出てきたんでドイツに目を向けると、11月9日は、ベルリンの壁が崩壊したという世界史レベルの重大事が起きた日。
日本でこの言葉を検索すると、関連して「勘違い」というワードが出てくる。
そう。ベルリンの壁は「誤解」で崩れたのだ。

 

そんな人類史に残るウッカリさんが、東ドイツ政治局員だったギュンター・シャボフスキーという人。
まずドイツは第二次世界大戦の敗戦によって、民主主義・資本主義を選択した西ドイツと、共産主義・社会主義を選んでしまった東ドイツの東西に分裂する。
結果からいえば東ドイツは失敗し、西ドイツという希望の国へ逃げ出す人が続出したため、1961年に東ドイツが国境に「逃亡防止」の壁を築く。
そして悲劇が始まった。

壁が破壊されるまでの間、東ベルリンから壁を越えて西ベルリンに行こうとした住民は、運よく西へ逃れた人以外は東ドイツ国境警備隊により逮捕されるか、射殺されるか、或いは途中で力尽きて溺死か転落死であった。

ベルリンの壁崩壊

 

越境に失敗した約200人以上が上記の理由で命を失い、約3000人以上が逮捕されたという。

時代は変わり東ドイツ内で、ベルリンの壁を無効化されることが決められる。
でも、それをいつにするかはまだ未定。っつーのに1989年の11月9日、責任者のシャボフスキーは記者会見でカン違いをし、「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と発表してしまう。
これを知った東ドイツ国民は「ヒャッハー!」となって国境に殺到し、ベルリンの壁は崩壊してしまった。
この様子をテレビで見た東ドイツ政府の人間は、「何が始まるんです?」と戸惑ったと思われ。

詳細はここで確認のこと。

 

 

国を分断していた壁が崩れてから30年以上がすぎたいま、ドイツ人はどう思っているのか?
ということは、まえにこの記事で書きましたヨ。

【ドイツの闇】東西統一から31年、いま国民の間には“心の壁”が

 

なので今回は、ドイツに住んでいる(いた)日本人の感想を紹介しようと思う。
Here we go。

・20代に東ドイツで過ごしました。
この問題は年代によって違うでしょうね。
旅行や言論の自由など、東西が一つになって良かったことはたくさんありますが、あれはどちらかというと東が西ドイツへの併合されたものですから、不満につながると思います。
通貨の違いかによる年金問題もありますし、これまで自分たちが生きてきた社会システムが否定され、急に西側のシステムを受け入れるしかなかったので、一概に良い・悪いは言えません。
個人的には、同僚同士の関係が深かったことや教育システムは東ドイツの方が良かったと思います。

・ダンナが東ドイツの人間です。
西側の人は表面的でわかりずらい、と言っていました。同じアパートに住んでいても挨拶をしないし、目も合わせない。(面倒なんでしょうね)
そんな西の人たちに驚いていました。

・私の夫も東出身です。
彼が兵役についているときに、ベルリンの壁を体験したそうです。
ソ連軍が撤退した際には、AK-47が数十マルクで売買されるほど混乱したようです。
保守的な義母は東をなつかしんで「あのままが良かった」と思っているようで、「私たちは国に売られた」と言います。夫も「定年後は東に戻りたい」と言っています。
義父は反対にリベラルで、学生時代に西欧諸国を旅した経験もあって、「いろいろ旅行に行けるようになって良かった」と思っているようです。
西側の人間関係について、夫は「表面的で冷たい」と感じるみたいで、東出身ということでバカにされることもあったようです。

・夫が旧東ドイツの出身です。
学校制度など旧東の方が良かったと思うことも少なくないですが、総合的に考えると、統一して良かったと彼は思っているようですよ。
自由に好きな勉強や仕事ができて、世界中を旅行するなんでことは旧東では不可能でした。
夫の実家や旧東ドイツ在住の人に聞くと、「あの時代は良かった」と思い出話をすることは多いですが、かといって「統一しなければ良かった」という人はほとんどいません。

・今までドイツにいて、何となくのイメージですが、「南ドイツ>旧西ドイツ>旧東ドイツ」という地域差別的な発想があるようですー。

・ドイツ人はいまでも旧東独人を「オッシー」、旧西独人を「ヴェッシー」と呼んで完全に区別しています。
実際、所得と失業率の格差を見ればその差はすぐわかります。
ベルリンも昔よりは東西格差がなくなりましたが、それでも西ベルリンから東ベルリンに入ると、雰囲気が一気に変わりますね。

 

ベルリンの壁に登る東西ベルリンの市民(1989年11月10日)
画像:Lear 21

 

・西ドイツ人の、旧東ドイツへの差別意識がなくなればいいと思う。
30年以上たっても、旧東ドイツに関する差別的な“ジョーク”をよく耳にします。
人種差別に厳しい社会なのに(黒人についてはそんな冗談は絶対言いません)、国内の差別は平気で言えるのが不思議。

・外国人だと言えない差別発言も、同じドイツ人だから言えるんじゃないですかね。
「自分より下の人間」がいる…そう思うことで、いまの自分に満足できる。
江戸時代の士農工商みたいなものだと思います。
いまのドイツでも「自分に満足していない」人の言葉を耳にすると、精神的なレベルが低いなとガッカリします。でも、そういうドイツ人をよく目にします。
この国ではなぜ人々が幸福じゃないのか?いつも考え込んでしまいます。

・旧西独人は旧東独に自分たちの税金を使われていると考え、旧東独人は思っていたほど豊かにはなれなかったと思っている。お互いそんな不満があると思います。
ちなみに、いまのドイツのスポーツ界の制度はロシアに似ていますが、それは統一したときに旧東独側のシステムに合わせたからです。

・旧社会主義社会をなつかしむ人が少なからずいるのは事実です。
社保証制度はいまよりずっと良かったみたいですね。

・私は旧東ドイツ地域に住んでいて、パートナーはWessi(ヴェッシー)です。
彼の話では統一後、西側の投資によって、東ドイツ地域の建物や道路がリノベーションされて、いまでは西側の整備が遅れているということです。
だから西側には不満に思っている人も多い。
確かにそれは感じます。私の住んでいる地域はとてもキレイで整備されているのに、西側に行くと町全体が古い感じがしますから。

 

圧倒的な経済格差があったからこそ、ベルリンの壁は崩壊して東西ドイツはひとつになることができた。
でも統一してみると、その格差が原因となっていろいろな不満や差別がうまれてしまい、いまのドイツではその克服が問題になっている。
壁がなくなったら、今度は心の分裂が始まったという皮肉。
「オッシー」、「ヴェッシー」がなくなるにはもう30年は必要か。

 

 

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1 個のコメント

  • 周囲を多数の他国・他民族に囲まれてた状態で2国が統一する場合も、島国で中央政府が統一する場合も、半島の北端だけで他国と接している2国あるいは多数都市国家が統一する場合も、大陸の大面積国とその沿岸及び隣島の独立政権とで統一する場合も、色々あります。きっと、そのそれぞれのケースにおいて、人々が感じ取る統一の意味や結果は異なるのでしょうね。時代にもよるだろうし。
    日本は島国でラッキーだったと思います。

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