日本とドイツの違い:欧州で最大&最後の宗教戦争・三十年戦争

 

日本の大学に通っていた知人のドイツ人が、日本人について印象的だったこと。
それは、本来はまったく違う神道と仏教の2つの宗教を、日本人が特に区別しないで同じようなものと考えていたこと。

ドイツではキリスト教とイスラム教などの宗教の違いは明白だ。
同じキリスト教でも、カトリックとプロテスタントはしっかり区別されている。
*プロテスタントはドイツ語ではエヴァンゲリッシュという。
エヴァンゲリッシュは「福音の」という意味で、福音主義を古代ギリシア語でいうと「エヴァンゲリオン」になる。

日本人のボクとしては、カトリックとプロテスタントによって州ごとに祝日が違うドイツのシステムにビックリした。
想像してごらん、宗教によって都道府県の休みがある日本を。
〇月〇日は神道の祭りの日だから静岡県は祝日だけど愛知県は平日、〇月〇日は曹洞宗の影響が強い愛知県は祝日だけど静岡県は関係ない、という状態は日本ではありえん。

ドイツでこんな宗教観や地域性ができた背景には、シュマルカルデン戦争のような宗教の違いをめぐる争いがあると思って書いたのがこの記事デスヨ。

【1地域1宗教】宗教戦争からのアウグスブルクの和議 inドイツ

 

ヒトは赤ん坊のときはみんな同じでも、その後に育つ環境によって個性を獲得して、それぞれまったく別のキャラを持った人間になる。
国もそれと同じだ。
日本もドイツも、それまでの歴史の積み重ねによって現在の社会ができている。
だから過去をすっ飛ばしてその国の現在だけを見ると、自国との違いからカルチャーショックを受けるしかない。

日本人の「神仏ごちゃ混ぜ」の宗教観を不思議に思ったドイツ人とまえに話をしていて、感じた日独の歴史の大きな違いはやっぱり宗教戦争の有無。
ドイツだけはなく、日本とヨーロッパ社会の違いにおいて、宗教をめぐる争いがどの程度あったというのはかなり大きいはずだ。
ドイツをはじめヨーロッパで当然のように起きていた宗教の「正しさ」をめぐる争いが、日本の歴史では「ない」と言っていいほど少ない。

神道と仏教でいうなら、それまで土着の神々を信仰していた6世紀の日本に、仏教という外来宗教が導入されるときにチョットともめた「崇仏論争」ならある。
でもドイツを中心に、カトリックやプロテスタントを支持する欧州の各国が参加して、バトルロワイアルみたいな大混乱状態になった三十年戦争のような激しい争いは日本の歴史にはなかった。

ということで、ヨーロッパで最後にして最大の宗教戦争といわれるこの大宗教戦争を見ていこう。
そうすれば、現在の日本とドイツ(ヨーロッパ)社会の違いも見えてくる。

 

ブレーメン(ドイツ)

 

「ローマ・カトリック教会のやり方は間違っている!」

ルターがそう言って1517年に宗教改革がドイツで始まってプロテスタントが生まれると、「以後いいな」なんてノー天気なことは言っていられなくなり、否定されたカトリック側は激怒してヨーロッパ各地で両教派による血で血を洗う争いがぼっ発。

「異端の罪は異教の罪より重い」ということなのか、同じ神を信じる者同士だからこそ相手を許せず、多くのキリスト教徒がキリスト教徒によって殺害された。
その代表格といえるのがドイツ(神聖ローマ帝国)を中心に行われた三十年戦争(1618~1648年)で、これを学ぶのは高校世界史ではまじマスト。

で、1か月ほど前の11月16日は、この戦争における重要な戦闘の「リュッツェンの戦い」が行われた日だ。
(なんだかんだで書くのが遅れて、気づいたらtodayですよ)
この戦闘によってプロテスタント、カトリックの両軍が大きなダメージを負う。
そんな歴史的な意味も重要なんだが、それ以上に「リュッツェンの戦い」という名前を含めて、この一戦は日本人の「厨二心」をくすぐる要素にあふれていた。

国王グスタフ=アドルフ率いるスウェーデン軍(プロテスタント陣営)と、皇帝フェルディナント2世が任じた司令官ヴァレンシュタイン率いる神聖ローマ帝国軍(カトリック陣営)が1632年11月16日、ドイツのライプツィヒ近くのリュッツェンで激突。
結果、スウェーデン軍は帝国軍を破るも、国王グスタフ=アドルフはこの戦闘で戦死する。

「皇帝」「神聖」「帝国軍」「王の死」といったワードはアニメやマンガでよく出てくるし、フェルディナント2世とかヴァレンシュタインとか登場人物の名前もいちいちカッコイイ。

でも現実にはこの戦闘は嵐のように激しくて、爆弾や機関銃もなかった時代に、両軍合わせての9000人以上の死傷者・行方不明者を出したという。

プロテスタント軍はグスタフ・アドルフの仇をとるべく猛烈な勢いで突撃を仕掛けた。皇帝軍もこれに応戦し、両軍ともに多大な死傷者を出した。

リュッツェンの戦い (1632年)

 

この2年後にヴァレンシュタインが暗殺され、三十年戦争はこう着状態におちいり長期化した。

 

スウェーデン国王グスタフ=アドルフの死

 

三十年戦争時の虐殺を描いた版画『戦争の惨禍』(1632年)

 

ドイツやスウェーデンのほかオーストリア、スペイン、フランスなども参戦し、宗教や欧州での勢力をめぐって争われたこの大戦争は1648年に終結し、講和条約である ヴェストファーレン条約(ウェストファリア条約)が結ばれた。
カトリックとプロテスタントという宗教の違いを原因とする争いに疲れ切った欧州各国は、この条約で相互の領土を尊重し、内政干渉はしないことを約束する。
この条約は「近代国際法の元祖」ともいわれ、これによって築かれた新しいヨーロッパ秩序を「ヴェストファーレン体制」(ウェストファリア体制)という。

シュマルカルデン戦争のあと、カト・プロの間での暴力的な争いを禁止するアウグスブルクの和議が結ばれたけど、結局これは破られて三十年戦争へとつながった。
ウェストファリア条約はそれと違って各国がこれを守り、宗教をめぐる大きな争いはなくなり現在にいたる。
ヨーロッパの人たちは宗教対立にはもう心底ウンザリだったはず。

こんな宗教戦争を一度も経験したことがなく、仏教と神道が融合していったから日本とヨーロッパとのイマはまるで違う。
だからお互いの事情を知ると、「こういう宗教観はありえん!」と驚くことになる。

 

 

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1 個のコメント

  • さきほどドイツのキリスト教についてちょっと調べてみたのですが。
    ドイツ国民は、自分の所属する宗派を国に登録して、所得税の一割弱に相当する「宗教税」(→ 信者の数に応じて各宗派へ国から配分される)を納める義務があるのだそうですね。オーストリア、スイス、北欧諸国にも同じ制度があるとか。つまり檀家の寄付金を、宗教団体に代わって国家が徴収してくれているようなもの。
    うーん、信じがたいなぁ。それって明確に「政経分離に反する」制度ですよね。異教徒に対する差別(逆差別?)のような気もするし。
    国家に管理されない「個人の信教の自由」って、ゲルマン・北欧諸国では尊重されないのかな?

    日本は、戦国末期に、世俗の政治権力に口出ししようとする宗教組織を徹底的に叩き潰した聡明な先駆者たち(戦国三英傑)がいてくれて幸いでした。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。