【昭和天皇誤導事件】死んで詫びる、と警部は刀をノドに当て…

 

ほんじつ3月6日に行われた東京マラソンで、ケニアのキプチョゲ選手が日本国内のレースでは過去最速となる2時間2分40秒の好タイムで優勝した。
それだけなら「へ~、めでたい。」で終了するところなんだが、今回のレースはそうもいかぬ。
キプチョゲ選手は世界記録をねらえるほどのハイペースで走っていたのに、先頭で選手を誘導していた白バイ隊員がコースを間違って、選手らもそれに引きずられて10秒ほどのロスを生んでしまった。

この失態にはネットでも厳しい声が噴出中。

・白バイが間違えたのか、本人じゃなくて
そりゃびっくり
・白バイ先導は花形とかいう話だけど
まあ遠回しに退職しろって言われるな
・世界記録更新狙えたでしょこれ
・白バイ依願退職だろうな
・白バイ運転手が署に戻ってどんな扱いされているのか想像したら胃が痛くなる

これはちょっとあり得ないミスで、責任者の隊員さんはしばらくご飯を食べられないような状態になると思われ。
でも、1934年の「昭和天皇誤導事件」で大失態を犯した警官に比べればずっとマシだ。

 

昭和9年の11月16日、群馬県で行われる陸軍大演習に昭和天皇が視察で訪れることになっていた。
戦後の「人間宣言」が出される前の当時は、「現人神」である天皇陛下を迎えるために地元住民は1年前から予行演習を行っていて、当日はひざまずいて天皇を出迎えるよう指示が出されていた。

そんな超・非日常的な雰囲気のなか、先導役を務めた群馬県警の警部、本多重平がすさまじい緊張のために道を間違えた。
本来なら左折すべきところを、気づかず直進してしまう。
「あっ!」と本多が気付いても、時すでにお寿司。
もう引き返せないと判断した本多が視察の順序を変更すると、到着時間になっても現れなかったことで訪問先は「昭和天皇の一行が行方不明になった!」と大騒ぎになる。
事件後、総理大臣と国務大臣がお詫びをすると、天皇はとくに気にせずこの失態を許した。

でも、本多警部はそうもいかず、自分で自分を許すことができなかった。
自宅謹慎を命じられた本多に自決をさせないよう、部下2人が監視に付くこととなる。
それでも事件の2日後、昭和天皇が列車で前橋駅を出発する直前に、本多は部下や家族へ「見送りに行け」と命じて、列車が出発した汽笛が聞こえると同時に、日本刀で自分のノドを突いた。
幸いこの自殺は失敗に終わる。が本多には、スムーズに会話ができなくなったり、食事をするのも困難になるほどの重い後遺症が残ってしまう。
このとき「よくぞ責任を取ってくれた」と、自決に拍手する人たちがいたというのが昭和初期の空気だ。
それでも全国から寄せられた賞賛の声に励まされて、本多は「もう1度天皇陛下のために生きる」と思い直して1946年まで公職を務めたという。

 

コースを間違えちゃった白バイ隊員、はいまごろ全身全霊で放心状態なんだろうけど、ネットには励ましの声も多いし、「もう1度国民のために生きる」と決意してがんばってほしい。
大会終了後の会見で今日のレースについて聞かれたキプチョゲ選手は、「本当にハッピー。再び日本にくることができてうれしい。去年金メダルを取ってまた勝てて本当にうれしい。東京都民の人たちに感謝している」と話しているから、大して気にしてなさそう。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。