日本とベトナムで共通の受験文化:学問の神としての孔子廟

 

いまはもう3月後半で、卒業式が行われる「涙のシーズン」だ。
ちょっと前までは受験シーズンだったから、不本意な結果を受けて、「涙目」で卒業式を迎えた生徒は日本全国におびただしいほどいると思われ。
2月に浜松市内にある学問の神・菅原道真を祀っている神社へ行ったら、上のデカい看板があって、受験生や親に全力でアピールしてた。
「合格祈祷の希望者がたくさんきますように」と事前に祈祷をしたのだろうか。

平安時代の貴族だった菅原道真は頭が良すぎてとんとん拍子で出世したら、「出る杭は打たれる」のいまに通じる日本社会の闇の法則が発動し、嫉妬された藤原一族の策略で九州へ島流しにされそこで亡くなった。
その後、学問の神となった菅原道真は「天満天神様」と呼ばれるようになったから、「○○天神」や「○○天満宮」という神社があれば、そこでは彼を祀っているはず。

 

日本では中国人も「学問の神」になっている。
東京・文京区にある孔子を祭る孔子廟の「湯島聖堂」はとても有名で、毎年たくさんの受験生が合格祈願のためにここへ足を運んで手を合わせる。
江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉の命で建設が始まり、湯島聖堂が完成したのは1690年の3月17日、きょうの2日前のことだ。
(ほかにも日本各地に孔子廟はある。)

その後、寛政異学の禁によって、ここは朱子学を教える幕府の学問所(昌平坂学問所)となり、幕臣や藩士などをビシバシ教育して日本の未来を背負う人間を育てていた。
この学問所がその後、紆余曲折をへて東京大学の源流になっている。
*「昌平」は孔子が生まれた中国の村の名前。
いまの湯島聖堂に、「日本の学校教育発祥の地」の掲示があるのはそんな歴史があるからだ。
日本屈指の歴史や由緒をもっているから、多くの受験生がここでお参りをしてお守りや鉛筆なんかを買っていく。

 

江戸時代の湯島聖堂

 

聖堂での博覧会

 

では視点を南西に向けてみよう。
東アジアにある日本とベトナムには、歴史的に中国の文化影響を受けたという共通点があって、それは言葉によく表れている。
ベトナム人も中国から伝わった漢字語を使っているから、ベトナム語の「Cảm ơn(カムオン)」という言葉を見て、意味が分からなくても、元になった漢字の「感恩」を見れば「ありがとう」の意味であることは、「恩を感じるか。なるほどナ」と日本人ならきっと納得できる。
「古代」のベトナム語は「cổ đại(コーダイ)」で、「悪意」は「ác ý(アックイー)」だし、日本語に近いベトナム語はけっこうあるのだ。
「ベトナム建国の父」と呼ばれるホーチミンの別名は、グエン・アイ・クォック(Nguyễn Ái Quốc)で漢字で書くと「阮 愛国」になる。

漢字のほかで、日本とベトナム文化の共通点といえば何と言っても儒教だ。
ベトナム人も昔から儒教を学んでいたから、開祖の孔子を祀る「孔子廟」があってこれも日越に通じる受験文化になっている。
ベトナムには首都ハノイに「文廟(孔子廟)」があって、日本の受験生にとっての湯島聖堂のように、試験をひかえたベトナム人はここに来て合格を祈願するのだ。
ちなみにハノイ(Hà Nội)の漢字表記は「河内」で、これと同じ地名は大阪にもある。

 

 

歴史的に中国の影響を受けたといっても、日本とベトナムではその中身が違う。
中国では官僚(国家公務員)を選抜する科挙という試験を行っていて、日本はそれを採用しなかった。
江戸時代は選抜ではなくて世襲だったから、侍の家に生まれた子は自動的に侍になって、昌平坂学問所などで知識や教養を身につけて国を動かしていた。

ベトナムは日本と違って11~20世紀の初めまで、中国と同じく科挙を行って文廟がその試験会場になっていた。
カメが背負っている石版に、科挙試験の合格者の名前と出身地が刻まれているのはそういうこと。
でも正確に言うとあれはカメではなくて、「贔屓(ひき)」という中国の空想上の生き物だ。
それと動画の中でガイドさんが、「たくさんの孔子様が祀られています」なんて説明してたけど、たぶんそれは間違い。
日本の孔子廟(湯島聖堂)では中央に孔子の像があって、周囲に孟子・顔子・曽子・子思の四賢人が配置されているから、ベトナムの文廟も同じ構造だと思う。
孔子を複数祀る理由も謎だし。

ということで、日本とベトナムでは伝統的に孔子が学問の神として祀られていて、湯島聖堂と文廟はそれぞれの受験生のパワースポットになっているのだ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。