英語の先生をしていたアメリカ人から、「自分を指さすとき、君ならどんなジェスチャーをする?」と聞かれたんで、人差し指で自分の鼻をさした。
そしたら、そのアメリカ人が「ああ~やっぱりだ~」と爆笑しやがります。
理由不明で笑われるというのは、なかなかの屈辱感とストレス。
ワケを話しやがれと言うと、彼は英会話のレッスンの最中、日本人の生徒(会社員)が自分の鼻を指さして「me?」と言ったの見て、「彼は一体何をしているんだ?」と謎に包まれたという。
彼に話を聞いて、欧米人はそういうときには自分の胸を指さすけど、日本人の場合は鼻をさすことを知る。
この動作が彼のツボにはまった。
それで中学生からお年寄りまで、いろんな生徒にはじめの質問をするとみんな自分の鼻を指さす。
「いやいや、背中をのばして胸を指さすのはカッコイイけど、首を前に出して鼻をさすのは笑えるだろ~」
と言われてみれば、まあ分からんでもない。
しかし腹立つ。
さてこのまえの土曜日に、4人のバングラデシュ人とアフリカ人(タンザニア人)1人の計6人で花見に行ってきた。
レジャーシートの上でランチを食べていると、「このまえ友人の日本人が面白いことをしてた」と笑いながら、バングラデシュ人が上のような話をする。
「その友だちはこんなふうに自分を指さした」と人差し指で鼻をさすと、他のバングラデシュ人もタンザニア人も「マジか~」とみんな一斉に笑い出す。
強烈な置いてけぼり感を、ぎこちない笑顔で誤魔化したあの花見を忘れない。
話を聞くと彼らは全員、そういう場合は自分の胸を指さすという。
アフリカ人や同じアジア人でも、欧米人と同じジェスチャーをするというのは意外。
タンザニアもバングラデシュも、かつてイギリスに植民地支配されていたからその影響か?
自分を示すジェスチャーなら西洋人がくる前からあっただろうけど、それがいつ、どんなふうに生まれたのかは誰も知らなかった。
どうやら日本人がスペシャルらしい。
「欧米人は自分のありかを、”心”と考えているのでは?」という意見には何か納得した。
気合を入れて民族衣装のサリーを着てきたバングラデシュ人
「自分をアピールするとき、日本人は自を指さす。」と書いても、もともとの漢字なら間違いじゃない。
というのは古代中国では、「ハナ」という漢字は「自」と書いていたから。
はるか昔の中国人は自分を表すのに、鼻を指さすか鼻をおさえていたらしく、それでいつからか「自(ハナ)」の漢字は「自分」という意味になる。
「ハナ」の漢字も必要だから、その下にチョイと付け加えて「鼻」が爆誕したのだ。
以下は根拠がイマイチあいまいだから、ひとつの説として読んでほしい。
昔も今も人間は鼻で呼吸するから、「自(ハナ)」の下に心を付けて「息」の出来上がり。
息が荒くなたったり、息をしなくなったりすることで、そのときの心の状態が分かったとか。
「臭う」や「臭い」の漢字は、もともとは自の下に「犬」と書いていた。
現代でも麻薬探知などで活躍する、ワンちゃんの嗅覚の鋭さはもはや言うまでもない。
ではもし、古代の中国人が自分を表すときに胸を指していたら、これらはどんな漢字になっていのか?
韓国のソウルを漢字で書けない理由:漢城?京都?首爾(首尔)?
日本人が自分のことを示す時に指さしているのは、鼻でも目でもありません。それは「顔」です。日本人にとって自分の顔はとても大事なんです。「会わせる顔がない」「顔向けできない」「親の顔が見たい」など。
これに対し、多くの外国人にとっては、自分の「顔」は「神」に向けるためのものなのですよ。神に向かって「私はここにいます」と天を仰ぎ(顔が上を向き)、その姿勢で自分のことを指し示すには、胸(ボディ)を差すより他に方法がない。中でも特に「心臓」です。なぜなら外国人は家畜を飼って食べるために昔から屠殺も多く行っていますから、自分の体に血液を送り出している「心臓」の重要性を分かっているのでしょう。