【キリスト教の発想】懺悔はOK、でも免罪符の販売で大失敗

 

1506年のきのう4月18日、イタリアでいまのサン・ピエトロ大聖堂の建設が始まった(基礎石の設置式典が行われた)。
ここはもともとキリスト教で重要な使徒・聖ペテロ(イタリア語でサン・ピエトロ、英語でセント・ピーター)のお墓があったとされる場所で、それに由来して、キリスト教の教会としては世界最大級の大きさの聖堂が建てられた。

カトリックの頂点に君臨し、神の代理人であるローマ教皇にふさわしい教会堂にしようと、超一流の芸術家が腕をふるった結果、巨大で超豪華な内装のまさに「聖堂の中の聖堂」と呼ぶにふさわしい大聖堂が完成した。
キリスト教(カトリック)でのサン・ピエトロ大聖堂の位置付けは、神道における伊勢神宮のようなもの。

だがしかし、こんなとてつもない建物をつくるには、トンデモナイお金が必要になることは誰でもわかる。
そこで教皇・レオ10世の名で1515年、建設(再建)費を集めるために免罪符(または贖宥状:しょくゆうじょう)が販売された。
すると、これに怒って抗議したルターによって「反カトリック」の宗教改革が始まり、プロテスタントという別グループが爆誕したことは歴史の授業で習ったとおり。
ただレオ10世やマインツ大司教が、自分の借金返済のために免罪符を売り出した面もあるから、どの程度サンピエトロ寺院の改修に使われたかは分からない。(レオ10世による贖宥状

 

工事中の聖堂のスケッチ(16世紀)

 

この時代のローマ・カトリック教会は「これを購入すれば、あなたの犯した罪は何でもゆるされます。」と宣伝して信者に免罪符を購入させて、カネもうけをしていた。
といっても罪が消滅するわけではなくて、免罪符を買えば、それによって与えられる「罰」を免れるということ。
いまなら刑事事件のこんな行為も、当時はキリストの代理者であるローマ教皇やカトリック教会による正当で正義の行為と考えられていたのだ。

この元ネタになったのが、カトリック教会にある「懺悔(ざんげ)」の考え方。
大罪を犯した人間は神とのかかわりを拒否したことになり、その結果として、地獄で苦しみを受けることになる。
懺悔の秘跡をすることで、その大罪を取り除くことができるという。

The Sacrament of Penance removes this guilt and the liability of eternal punishment related to mortal sin.

Indulgence 

 

聖地エルサレムを取り返すというローマ教皇の意思で、11世紀にキリスト教徒の戦士(十字軍)がイスラム教徒と戦った。
この十字軍の遠征に参加すれば「罪はゆるされる」としたことから、免罪符が始まったという。

 

「悪魔が免罪符を売っている」と非難する絵(15世紀)

 

「免罪符の販売」という発想の根底にあるのは懺悔の考え方で、カトリック教会によって「罪がゆるされる」というのは神との交わりを回復することを意味し、そうすることによって信者の魂は救済される。
しかし、権力は腐敗する。
堕落した中世カトリック教会はこの考え方をカネ集めに応用して、免罪符を買えば天国へ行くことができる、死んだ人のために買えばその魂も救われるという霊感商法みたいなことを始めた。
ルターも「懺悔」の考え方は否定していない。
彼が抗議したのは、カトリック教会が「免罪符を買えばあらゆる罪がゆるされる」と拡大解釈したこと。

サン・ピエトロ大聖堂を建設し、ローマ・カトリック教会の威光をさらに高めようとしたら、猛抗議をくらってプロテスタントという別グループができてしまい、カトリック教会は大打撃を受けて権威は失墜する。
仏教なら「因果応報」や「自業自得」、ネットの書き込みなら「ざまあみろ」というところ。
この罪を贖う(罪滅ぼし)には、何枚の免罪符が必要なのか。

 

21世紀の価値観や倫理観を数百年前に当てはめて非難することはできないが、こんな免罪符の考え方については、当時のカトリック教会内でも疑問に思う人は多かった。
そんな過程があったとしても、やっぱりサン・ピエトロ寺院はすばらしい。

 

 

 

仏教 目次

キリスト教 「目次」

イスラーム教 「目次」

ヒンドゥー教・カースト制度 「目次」

日本人の宗教観(神道・仏教)

日本の疫病神から欧米人、“ヨハネの黙示録の四騎士”を想像する

【世界よ、これが日本の仏教だ】中国人とイギリス人に衝撃!

【怪異ともののけ】日本人が密教を求めた理由とは?

「日本人は寛容だ」と感心する外国人、実は無宗教の無関心

 

1 個のコメント

  • > 「免罪符の販売」という発想の根底にあるのは懺悔の考え方で、カトリック教会によって「罪がゆるされる」というのは神との交わりを回復することを意味し、そうすることによって信者の魂は救済される。
    > しかし、権力は腐敗する。
    > 堕落した中世カトリック教会はこの考え方をカネ集めに応用して、・・・

    まったく、宗教なんてのはその程度のものなのですよ。
    現在のウクライナ紛争に関して、同じキリスト教の一派であるロシア正教とか、ウクライナ正教とか、あるいはキリスト教と同じ「神」をいただいているはずのイスラム教やユダヤ教は、どういう見解を持っているんですかね? 先日は、ローマ・カトリックの教皇が「ロシアの蛮行を非難する」というコメントを発したところですが。
    ま、世界で最大多数の宗徒を抱える「世界3大一神教」といえども、この程度ですよ。

    A.C.クラーク:楽園の泉(だったっけ?)「いまや世界は、敬虔なタワゴトから目が冷めたのだ」

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。