学校内で礼拝もOK! 欧米・インド人も驚く、宗教に寛容な日本

 

きょう5月12日、過去にはこんなことが起きた。

1576年に大阪の「石山合戦」で織田信長方が石山本願寺を包囲した。
1588年にフランスの「ユグノー戦争」(カトリックとプロテスタントの争い)で、ギーズ公アンリ1世がパリに入城し、アンリ3世が逃亡した。

同じころに起きたこの戦いはどっちも宗教にかかわるもので、この後、日本とフランスの社会では宗教と政治が切り離される「政教分離」に進んでいく。
日本の場合は織田信長の石山合戦(1570~80年)や比叡山焼き討ち(1571年)、一向一揆の鎮圧によって、宗教勢力が武装解除して本来の宗教活動に専念するようになる。

【日本の政教分離】仏教勢力を撃破し、宗教集団にした織田信長

フランスのユグノー戦争は石山合戦とは本質的に違う。
この戦争を含めヨーロッパで起きた宗教戦争は、カトリックの王や貴族がプロテスタントの存在を認めることができず(逆パターンもあり)、相手に攻撃をしかけ抹殺しようとしていた。

【フランスの宗教対立】戦争&虐殺を終わらせたナントの勅令

日本の大名はこんな宗教的な情熱とは距離を置いていたから、他国の人間を改宗させるために戦争を起こすことはなかった。
キリスト教への改宗を迫り、それを拒否した領民を殺害した大村 純忠(おおむら すみただ)のような人間もいたけど、こういうキリシタン大名は日本史の例外。
でもヨーロッパの歴史では、こういう発想は常識的だった。

 

さて、最近の日本ではムスリム(イスラム教徒)の児童生徒が増えていて、全国の学校がムスリムに配慮した対応をしている。
たとえばこれは福島の学校での取り組みだ。

・ラマダン月の1カ月、断食をしないといけないムスリムの子どもには早退や体育の見学を認める。
・イスラム教では豚肉やアルコールなどの摂取が禁止されているから、学校給食を食べられない子供には弁当の持参を認め、修学旅行では戒律に従った「ハラルメニュー」を用意する。
・「1日5回」の礼拝ができるように、空き教室や会議室で礼拝していいことにする。

くわしい情報は河北新報の記事にある。(2022年4月4日)

学校にムスリムの子を受け入れるなら? 食事や礼拝… 宮城県国際化協会が事例集

ただ、「コーラン(聖典)のアラビア語を勉強するため、なかなか宿題や家庭学習に手が回らない」といった声が上がるなど課題はあるらしい。
上の3つは静岡の学校でも認められていると聞いたし(全学校かは知らない)、これは全国なことだと思われる。
でも、こんな日本の常識を外国人に話すとけっこう驚かれる。

 

まえにドイツ人と話をしていて、静岡の学校には、図書室でムスリムの生徒がメッカに向かってお祈りできるところもあると知ると、彼は「えええっ!」とかなり驚いていた。
ドイツでは地域によってムスリムの数が違うし、ルールも州によって違うから一律かどうか分からないけど、公立学校で、特定の宗教の礼拝行為が認められるのは考えられないという。
ムスリムの女性が髪を隠すヒジャブもドイツで問題になっているらしい。
彼の感覚では生徒ならまだしも、教師のヒジャブ着用はNG。
知人のアメリカ人に、「日本の学校では礼拝行為が認められている」と話すとやっぱり驚かれた。

フランスには政治や教育と宗教との間に明確な一線を引く、「ライシテ」という政教分離の原則がある。

【ライシテと1ドル札】フランス・アメリカ社会の違いは宗教

フランス人の話によると、この原則によって、フランスの学校ではイスラム教のシンボルであるヒジャブの着用は認められていない。
これはムスリムを狙い撃ちにした差別的対応じゃないから、十字架のアクセサリーも学校内ではダメ。
学校の敷地へ入る前に、十字架のアクセサリーはバッグにしまうなど他人の目に触れないようにして、学校が終わって校門を出たら、それを取り出して身に着けることができる。

この傾向はインドも同じだ。

CNN(2022.03.15)

学校でのベール禁止、州最高裁が支持 インド南部

インド南部のカルナタカ州で、ベール(ヒジャブ)を着用したムスリムの女性が、学校や大学で教室への立ち入りを禁止された。
その対応に抗議し、撤回を求めて裁判に訴えたものの、同州の最高裁は禁止令を支持した。
これについてインド人に聞いてみると、教育と宗教は厳格に分けるべきだからこの判決は正しいと言う。
学校内ではヒジャブの着用も、ヒンドゥー教徒や仏教徒が宗教を示すモノを持って来ることも認めてはいけない。インド社会では誰でも「政教分離」を尊重するべき、というのがそのインド人の意見。
もちろん、カトリックスクールなどでは話は変わる。
そう話すインド人に、日本では公立学校で礼拝が認められていると話すと、目を丸くして絶句された。

 

日本の学校は、服装や髪型などについて細かい校則があることで海外でも知られている。
けど、宗教に関してはかなり寛容で、認められる範囲が広い。
ヨーロッパ社会では宗教と政治が一体化したことで、何度も戦争が起きたせいか、現在では政教分離についてけっこう厳しい。
一方、日本では宗教と政治が結びついて、恐ろしい事態になったことが少ないせいか、教育と宗教がそれほど厳しく分かれていない。
公立学校でイスラム教の礼拝もOKという国は、世界的には少ないと思う。
宗教への配慮は必要としても、でもどこかで一線を引かないと、日本国内でもそのうち問題や摩擦が起こる予感。

 

 

【京都・大阪の三つ星店】外国人が見た伝統と革新の日本

欧州で広がるアジア人差別。“日本好きドイツ人”の意見は?

アメリカ 「目次」

ヨーロッパ 「目次」

日本 「目次」

東南アジア 「目次」

 

2 件のコメント

  • 「信教の自由」「政教分離」「唯一絶対神」といった思想を根本的には理解していない多くの日本人は、この記事で外国人がなぜ驚いたのか、理解できないでしょうね。
    欧米人の考え方は日本人とは違います。彼らの考え方はこうです:
    ・信教の自由は保証されるべきであり、個人は、心の中ではどのような宗教・思想を抱えても良い。
    ・しかし政教分離は現代民主主義社会の原則の一つであり、どの宗教も優先的扱いを受けてはならない。
    ・ただし事実上の国教であるキリスト教は別格扱いとする場合がある。例えば大統領就任式のように。

    これに対して、日本人の宗教観(というか「無宗教感」?)は全然違います。日本人の考え:
    ・他人がどのような宗教を信じようが勝手であり、知ったことじゃない。特に関心はない。そのような考え方によってなるべく対立を避ける。
    ・とは言うものの、なるべく周囲の人々に同じ行動をとることが原則的には望ましいとされる。出る杭は打たれやすい。
    ・国家は、天皇制という観点から神道という宗教にやや傾いてはいるが、それが現実の政治権力を発揮することはない。米国の大統領就任式(聖書に手を置き国家への忠誠を誓う)に比べれば、宗教色は全然薄い。
    ・日本で最も重要なルールは、周囲の人々に迷惑をかけないこと。他人に迷惑をかける行為はたとえ宗教からであっても糾弾される。特に世の中の秩序を乱す行為は非難の対象となる。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。