【ナチハンター】イスラエル、アイヒマンを拉致し裁き処刑する

 

人類最大の悪の組織ナチスは、約80年前のちょうどいまごろ地上から消滅した。
第二次世界大戦の末期、1945年4月30日にヒトラーが自殺して、5月2日にソ連軍が首都を制圧し(ベルリンの戦い)、ヒトラーに後を任されていたフレンスブルク政府が8日に連合軍へ降伏した。
そんなことで5月8日は、いま欧米の多くの国で「ヨーロッパ戦勝記念日」というお祝いの日になっている。

ナチスが崩壊すると世界も180度変わって、「狩る者」と「狩られる者」が入れ替わった。
それまでヨーロッパにいたユダヤ人を見つけては強制収容所に連行し、虐殺していたナチスは、今度は戦争犯罪人として捕まり裁かれる側になる。
ホロコーストというユダヤ人大虐殺に時効はないから、戦後はナチ・ハンター(ナチス戦犯追及者)による「ナチスの残党狩り」が始まって、たぶんいまでもつづいている。
きょねん行われた東京五輪で、過去にホロコーストを揶揄(やゆ)するようなコントをしたことが発覚して、開会式のショーディレクターを担当していた人物が直前で解任された。
このとき“トドメ”をさしたサイモン・ウィーゼンタール・センターは、ナチ・ハンターの1人、ホロコースト生存者のサイモン・ウィーゼンタール氏がアメリカに設立したものだ。

ドイツから逃げ出した後、世界中に隠れ住んでいたナチの残党を見つけ出して、自分の犯した罪を償わせてきたナチ・ハンター。
彼らの最大級のシゴトにアイヒマンの拘束がある。

 

アドルフ・オットー・アイヒマン(1906年 – 1962年)

 

アイヒマンはかつてユダヤ人についてこう語った。

ユダヤ人は、ドイツ国民の永遠の敵であり、殲滅(せんめつ)し尽くさねばならない。

われわれに手のとどくかぎりのユダヤ人はすべて、現在のこの戦争中に、一人の例外もなしに抹殺されねばならない。

今、われわれが、ユダヤ民族の生物学的基礎を破壊するのに成功しなければ、いつかユダヤ人がわがドイツ国民を抹殺するであろう

「アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)」

 

こんな最悪の人種差別思想から、ヨーロッパにいるユダヤ人を根こそぎ捕らえて、すべて殺害しようとする「ユダヤ人問題の最終的解決」が完成する。
この計画ができる1942年よりも前に、すでに多くのユダヤ人が殺されていたが、アウシュヴィッツなど絶滅収容所を建設して、国として意図的・計画的にユダヤ民族を抹殺することが決められたのはこのとき。
ホロコースト実行の中心人物だったアイヒマンはドイツからうまく逃げ出して、行方をくらませることに成功した、かに思われた。

 

1950年代にアイヒマンが「リカルド・クレメント」の偽名でアルゼンチンにいるという情報が入り、イスラエル諜報特務庁(モサド)が動き出す。
*アイヒマンがアルゼンチンに潜伏しているという情報を入手して、イスラエルに連絡をしたのはナチ・ハンターのサイモン・ウィーゼンタール氏だったという話がある。

万が一、人違いだったら「テヘペロ」じゃ済まないから、モサドの工作員は気づかれないように、時間かけて彼の監視をつづけてその行動パターンを把握する。
チームが最終的に、リカルド・クレメントがアイヒマンであると確信したのは、結婚記念日に彼が花屋で妻へのプレゼントの花束を買ったことだったという。

1960年の5月11日に作戦は決行された。
仕事を終えたアイヒマンがいつものようにバスから降りて、家に向かって歩いている途中、モサド工作員のピーターから、「ちょっといいですか」とスペイン語で話しかけられる。
それですべてを察知したアイヒマンはおびえて、その場から逃げようとしたが、モサドの2人のメンバーが駆けつけて、3人がかりでアイヒマンを地面にねじ伏せて無理やり車に乗せて拉致した。

Mossad agent Peter Malkin engaged him, asking him in Spanish if he had a moment. Eichmann was frightened and attempted to leave, but two more Mossad men came to Malkin’s aid. The three wrestled Eichmann to the ground and, after a struggle, moved him to a car where they hid him on the floor under a blanket.

Adolf Eichmann

 

そしてイスラエルへ“空輸”された後、ベングリオン首相がアイヒマンの身柄拘束を発表すると、世界が震撼した。
これは明白な主権侵害だから、本来なら重大な外交問題に発展するところだけど、拉致されたのがアイヒマンだったということで、アルゼンチン側もほあまり問題にしなかった。
この歴史的な逮捕劇ではモサド以外に、トゥビア・フリードマンという女性のナチ・ハンターも活躍している。

 

イスラエルの留置所に収監されたアイヒマン

 

1961年にエルサレムで裁判が始まった。
といっても「ユダヤ人はすべて、一人の例外もなしに抹殺されねばならない。」なんて言っていて、実際に「ユダヤ人問題の最終的解決」を立案・実行したアイヒマンに死刑以外の判決はない。
翌年に刑務所の中で絞首刑が行われて、6月1日に悪魔が消滅した。
イスラエルでは死刑がないから、これが建国以来、唯一の死刑になる。
死体は燃やされた後焼却され、遺灰は地中海に捨てられた。

裁判中、公判時にアイヒマンはこう言ったという。

「1人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない。」

600万人の虐殺も「統計上の数字」に過ぎなかったのか。

 

 

 

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1 個のコメント

  • 現代の(と言ってもまだOKだと思うのですが)ドイツ人における、ヒットラー及びナチスに対する「微妙な感情」は、フレデリック・フォーサイスの小説「オデッサ・ファイル」にあますところなく描かれています。フォーサイスの処女作は「ジャッカルの日」であり、それに続く第二作でした。元新聞記者だけあって、小説家にありがちな修辞の技巧に富んだ難解な英語でなく、とても客観的かつ正確な表現の文章で綴られていた作品でした。現代ドイツ人達のその「微妙な感情」を知りたければ、この作品を読むことをオススメします。(もちろん日本語訳で構いません。)
    因みに、その「オデッサ」とは、21世紀のいま、ロシア人に攻撃されかかっている黒海に面した港町の名前ではありません。Organisation der ehemaligen SS–Angehorigen(英:Organization for ex-SS Members)の略、和訳すれば「元ナチス親衛隊(SS)支援組織」なのです。
    と言っても私もすっかり勘違いしていて、このことを知ったのはつい最近です。昔は、その組織の本部がオデッサの街にあったのだろうという程度の認識でした。(英文の読解力が足りなかったことおびただしい。)

    フォーサイスのその後の作品では、「悪魔の選択(The Devil’s Alternative)」が、今になってみれば凄いです。旧ソビエト連邦内において、ウクライナ独立を掲げるテロ組織のメンバーが、KGB議長(つまりかつてのゴルバチョフが務めていた役職)を暗殺し、それをきっかけに西側ヨーロッパを含め世界中に危機を招くというストーリーです。政治的対立だけでなく、環境破壊の問題も題材として見事に描かれています。
    読んだのは10代の頃だったのですが、まさか50年以上を経て自分も60を超えた現代になってから、そのストーリーがほぼ実現(攻撃する側とされる側が反対ですけど)するとは・・・。当時は夢にも思わなかった。

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