「観光」って言葉の話:語源は中国の易経・日本での使われ方

 

この2年間、コロナ禍の影響をモロに、ダイレクトに直にくらったのが観光業界。
京都旅行で利用したことのあるゲストハウスや飲食店が、HPに「長い間、大変お世話になりました。」とのメッセージを載せているのを何度か見て心が痛かった。

そんな観光業界に干天の慈雨、ついに恵みの雨がやってきて、日本政府がきのう10日から外国人観光客の受け入れを再開し、全国の観光地や関連業界は歓喜雀躍といったところ。

ただネット掲示板での反応はあまり芳しくない。

・そして日本人が来なくなる
・そら外国人相手の商売する人は歓迎するだろうさ
・お前らの気持ちもわかるけど、地方なんて半分くらい観光で食っているようなものだからな

で、話は「観光」だ。
この言葉はいつどこで生まれ、どのように使われてきたのか?

答えからいうとこの言葉の起源は、古代中国の書「易経(えききょう)」にある「観国之光」(国の光を観る)」だ。
他国のすばらしい文物や制度をみること(観察、考察)が「観光」の語源になったという。
知人の中国人に聞いたら、易経には「观国之光,利用宾于王」という文があって、「人望のある諸侯は身をもって範を示し、天子に服従する。自身に德さえそなわっていれば、人が寄って来る」という意味らしい。
国の統治能力を見る/見せるといった意味のようで、現在の「観光」とはかなり違う。

 

観光丸

 

日本で初めてこの言葉が使われたのは1855年で、幕末にオランダから贈られた日本初の蒸気船に「観光丸」という名前がつけられた。
ちなみにこの過程でつくられたのが、海軍士官を養成する幕府の教育機関の長崎海軍伝習所
徳川幕府がこの蒸気船の名を観光丸にしたことには、「国の威光を海外に示す意味が込められていたといわれる(日本大百科全書)」ということだ。

その後、開国して西洋の文物を導入した日本では、1872年に鉄道が開業して鉄道ネットワークが広がっていき、各地へのアクセスが簡単になったことで国内旅行が盛り上がっていく。
1893年にいまのJTBの前身である喜賓会ができて、設立目的を「旅行の快楽、観光の便利に」としたから、このころにはもう「日本国の威光を海外に示す」なんて中国語的な意味ではなくなっている。
現在のように「観光」が、名所をめぐって景色を見たりして楽しむ「sightseeing」の意味として定着したのは大正時代のころらしい。

では、たくさんの外国人観光客に来てもらって、日本国の威光じゃなくて、日本の明るく楽しい面を知ってもらって、日本の観光業界が復活することを願うばかり。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。