日本と韓国の違いは脱・中国:仮名と和歌で文化が始まる

 

ネットでおもろい誤変換を検索したら、 こんなモノを発掘した。

・扶養家族が「不要家族」
・男性飲み放題が「男性の見放題」
・アルゼンチン国債が「アルゼンチンコ臭い」

まーこれぐらいならいいとしても、2007年に秋田県庁であった誤変換には背筋が凍る。
天皇皇后両陛下のご来訪に関する公文書で、職員が誤変換で「悪天候」を「悪天皇」としてしまい、後からわかって大騒ぎになった。
戦前なら自ら命を絶つレベル。

【昭和天皇誤導事件】死んで詫びる、と警部は刀をノドに当て…

こんな誤変換が起きた原因は、ご先祖さまが「仮名」なんて文字をつくったからだ。
でも、これは日本文化の“始まり”になる。

 

平安~鎌倉時代に生きた武士で歌人の宇都宮 頼綱(よりつな)はある日、自分の別荘のふすまのデザインをどうしようか悩んでいた。
それで仲の良かった公家の藤原 定家へお願いごとをする。
新古今和歌集の撰者で「歌聖」の藤原定家は日本を代表する歌人で、「美の使徒」や「美の鬼」と呼ばれるほど「美しさ」にこだわりを持っていた。
頼綱はそんな定家に100人の歌人の和歌を選んで、それを一首ずつ色紙に書いてほしいと依頼する。
和歌の書かれた色紙をペタペタ貼るというのは、センスがいいのかよくワカランが、とにかく頼綱はそれを別荘のふすまの装飾にしようと考えた。

それで1235年のきのう6月14日、藤原定家が選んで書いた和歌の色紙がふすまに貼られた。
定家が京都の小倉山で百首の和歌を選んだことから、これが後に小倉百人一首と言われるようになる。
だから百人一首の原型は、定家がダチの頼綱にプレゼントした百枚の色紙だったのだ。
それが旧暦の5月27日(6月14日)だったから、現在ではこの日が「小倉百人一首の日」になっている。

 

内藤湖南(慶応2年 – 昭和9年)

 

日本文化にとって最も重要なものは、古代の日本人が詠んだ和歌だろう。
戦前の日本を代表する東洋史学者で、「京大の学宝」と呼ばれた内藤湖南は和歌についてこう書く。

和歌は即ち第一に國語の上に立脚致します所の文學であります。何れの國でも根本は其の國の國語が權威を持つのが文化の要素であります。

「日本国民の文化的素質 (内藤 湖南)」

 

外国語よりも自国の言葉に権威をもつ。
日本でいえば日本語を第一にすることが、日本文化にとって決定的に大事だった。
中国語(漢字)よりも、自分たちが考案した仮名を上位に置いたときが日本文化の始まりと言っていいと思う。
内藤 湖南はこうも指摘する。

「國民が自分の國の言語の法則を神聖なものと考へることが、之が國民の有つ文化の第一の要素であります」

和歌を中国語(漢字)でつくることは無理で、日本語で考えて、仮名を使わないと表現することはできない。
9~10世紀の日本人が仮名を生み出した理由に、「和歌をつくるため」ということがあった。

漢字じゃ無理!日本人に仮名(ひらがな)が必要だった理由

 

文化では自国の文字よりも、外国語を尊重することは東アジアでは常識だった。
韓国やベトナムではずっと漢字を使っていて、ベトナム人が固有の文字であるチュノムを発明したのは13世紀ごろ、韓国人がハングルを発明したのは15世紀半ばになってから。
それ以降も、ハングルより漢字に権威や神聖さを感じた韓国の知識人は漢詩をつくっていて、江戸時代の朝鮮通信使はお世話になった日本人へそれをプレゼントした。
ハングルが誕生した後でも、朝鮮文学の主流は漢文だった。

 

21世紀の韓国人にご先祖がつくった漢詩を見せたら、「何も読めません。中国人がつくったみたいです」と言う。

 

日本人は韓国やベトナムとは違い、日本文字の仮名で書かれた和歌を重視した。

「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」
(これほど日差しがのどかな春の日に、なんで桜の花は落ち着きなく散るのだろうか。)

こんな和歌の書かれた色紙をふすまに貼っていたころの日本人は、中国語から脱して日本語を第一にしていて、日本文化を尊重し、親しんでいたことがわかる。
そのせいで現代の日本人は誤変換をしてしまうのだけど、これはこれで、千年たったら新しい文化になってるかも。

 

 

日本語を学ぶ外国人が考える、漢字の4つのメリット

がんばって日本語を学ぶ外国人!ひらがなの学び方・教え方。

外国(台湾とアラブ)で大活躍!日本語の平仮名とカタカナ。

台湾の不思議体験! 山奥に日本語を話す少数民族!?

外国人から見た不思議の国・日本 「目次」

ベトナム人も納得感心!日本料理の原点「出汁」ってどんなの?

 

1 個のコメント

  • 日本語専用の文字としてご先祖様が創造したのは「ひらがな」だけでなく、「カタカナ」もあったことを忘れないでほしいですね。少なくとも明治期から戦前までは、正式な公文書におけるかな文字は「カタカナ」であったのですから。
    2種類のかな文字を造ったことは実に卓見だったと思います。もしや、ご先祖様には遠い未来である我々の生活が見えていたのでしょうか? まず、文字の種類が50音=50文字に限定されず、一気に倍の100文字に増えます。しかもカタカナを外来語や擬音への使用に限定することは、日本語文章の可読性を大きく上げています。英語由来の外来語が次から次へと押し寄せてくる現代において、もはや「カタカナ」なしでは日本語文章は使い物になりません。
    明治期には福沢諭吉のような天才が、重要な欧米語を全て「漢字語」に翻訳してくれたから良かった。我々現代人にはそんな神業はとても無理。でも凡人だって、カタカナ語に音を写すだけならできます。
    現代日本語文章におけるカタカナの位置づけは、おそらく、見た目の印象として、英文における斜体(イタリック)フォントと同じような感覚で識別されているものと推定します。

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。