きょう6月23日は、日本人として忘れちゃいけない日。
太平洋戦争末期の1945年のこの日、日本軍司令官の牛島中将らが自決して、米軍との組織的な戦闘は終了した。
この沖縄戦で約9万4000人の住民、全体では県民の4人に1人が命を落としたことから、いまでは6月23日はその尊い魂に頭を下げる「沖縄慰霊の日」になっている。
そんな痛みを抱えながらも時は流れて、読売新聞社の世論調査によると、沖縄が順調に発展してきていると思う人は沖縄県でいまでは8割を超えたという。
ということで今回は、そんな沖縄を旅行したインド人の話を紹介しよう。
5月は黒糖が旬を迎える時期で、「5・10(コクトウ)」の語呂合せから沖縄で5月10日は「黒糖の日」になっている。
浜松市に住む知人のインド人夫婦が沖縄旅行を計画して、ベストシーズンは4月ということを突き止めたから、ことしの4月に沖縄へ行ってきた。
それは正解だ。
沖縄の4月、春分から梅雨入りするまでの時期は「うりずん」と呼ばれていて、1年のうちで最も過ごしやすいのだ。
日本にはもう3年ほど住んでいて、「3度のカレーより旅行好き」がキャッチフレーズの彼らは(しらんけど)、これまで九州~東北まで各地を旅したことがあるから、日本の街や日本人についてよく知っている。
そんな彼らから見ると沖縄は、これまで行った場所と比べると明らかに異質。
「ここは日本?」と思ったほど、自分たちがイメージする日本とは違っていた。
それを大きく、喜び・驚き・悲しみの3つに分けて書いていく。
〇喜び
ユーチューブなんかでバッチリ予習をしていたから、沖縄の海がキレイということは知っていた。
でも、白砂のビーチとエメラルドグリーンの「リアル沖縄の海」は想像を超えていて、テンションが上がる前にまず言葉を奪われた。
その感動は、彼らの出身地の影響がとても大きい。
この夫婦が住んでいた首都デリーはめっちゃ内陸にあって、地図で見ると最寄りの海岸まで、東京から鹿児島を越えて屋久島ほど離れている。
しかもそこにビーチがあるかかどうかは分からない。
そんなことで彼らは日本に来るまで、海を見たことはほとんどなかったから、浜松の遠州灘を見ただけで感激した。
水平線が見れたら満足という要求水準の低いインド人が、世界レベルの美しさの海を見たから声を失った。
日本の約9倍の面積を持つインドにはいろんな自然がある。
彼らは砂漠で泊まったり雪山(ヒマラヤ山脈)を見たり、川でラフティングをしたことはあったけど、海で楽しんだことはなかった。
インドでは、一生することはないだろうからということで、沖縄ではマリンスポーツ三昧に決定。
生まれて初めてシュノーケリングをして、眼下に広がる海の世界を楽しんだら、それだけでは満足できなくなって体験ダイビングもして、熱帯魚と一緒に泳いで忘れらない思い出をつくることができた。
ただ船に慣れてなかったから移動の際、船酔いして夫婦2人で吐きまくったのが唯一の苦い思い出。
そんな地獄も経験したけど、デリーで生まれ育った彼らにとって沖縄は夢の国だった。
・驚き
5日ほど旅行している間に、日本のどこへ行っても見た、あの赤い鳥居が沖縄にはないことに気づく。
「おかしいぞ」と思ってそれから注意して見ていたけど、結局、最後まで鳥居(神社)を目にすることはなかった。
そのワケを2人で話していて、沖縄の人は琉球民族で本土の日本人とは歴史や文化が違うから、宗教も違うのだろうと結論づける。
それも正解だ。
文化庁がまとめている「宗教年鑑 令和3年版」を見ると、沖縄には神社が15社しかない。
都道府県別で神社の少ないところは2位が宮崎の675社で、3位が和歌山の449社だから、人口や面積は抜きにしても沖縄の15社というのは不自然なほど少ない。
ちなみに、神社の多いところトップスリーはこんな感じ。
1位:新潟(4,682社)
2位:兵庫(3,864社)
3位:福岡(3,410社)
沖縄には村ごとに「御嶽(うたき)」と呼ばれる聖域や、祈りの場があったことが神社の少ない理由になっている。
これは石や川などの自然に神が宿るという考え方だから、本土の神道と重なる部分が多い。
そもそも御嶽とは琉球神道における聖域のことだから、神道と関係があると思うのだけど、その辺はよくワカリマセン。
ちなみにインド人カップルにお寺について聞いたら、赤い鳥居のような目立つモノがないから、お寺を見たかもしれないけど、気がつかなかったとのこと。
インドには数千の少数民族がいて、お札に書いてある言語だけで17もあるから、宗教や伝統の違う民族がいることは常識の範囲内にある。
ただそれまでの経験から、日本ではどこへ行っても同じ人がいて、同じような建物があってとても画一的な国と思っていたから、そのイメージからすると、沖縄はほかのどことも違ってユニークで意外だった。
ヒンディー語、英語、アッサム語、ベンガル語…と、この100ルピー札には17の言語がある。
食にも驚いた。
沖縄の食べ物は、いままで自分たちが日本で食べてきた物とは明らかに違う。
一番衝撃的だったのが豚足。
自分たちは食べなかったけど、食事としての豚の足を見たのはあれが生まれ初めて。
ヒンドゥー教徒には肉を食べないヴェジタリアンがよくいるし、インドにはイスラム教徒が多いから、肉ならチキンやマトンはよく食べるけど豚肉は見たことない。
ほかにも沖縄の人は豚の耳(ミミガー)を食べると聞いたし、見た目や味付けで独特な料理も多かった。
沖縄では赤くて中国みたいな建物がよくあったから、あれは中国の影響では?
それも正解だ。
琉球王国として独立国だった沖縄に1609年、薩摩藩の軍がやってきて、尚寧王が薩摩藩に降伏し琉球は日本(薩摩)に従属するようになった。(琉球侵攻)
でも、その後も中国との外交関係は続けて、中国の影響が流入してきた。
6月23日の「沖縄慰霊の日」には、亡くなった人とご飯を楽しむために、家族が慰霊塔の近くで料理を食べたり酒を飲むことがある。
あれをテレビで見たときは、「お墓でピクニックですか!」と驚いたもんだ。
中国人は清明節の日にお墓を掃除して、そこでご先祖と一緒に食事をするから、それとよく似ていると思う。
知人の中国人が沖縄旅行に行ったら、建物や食べ物になんか見覚えがあって「中国国内を旅行してるみたい」と思ったと言っていた。
ミミガーや豚足のほか、ゴーヤチャンプルや角煮も中国料理っぽかったらしい。
ただ値段は間違いなく日本。
インド人カップルは触れなかったけど、沖縄の泡盛には本土の日本酒とは違って、原料にタイ米を使っている。
・悲しみ
沖縄戦の犠牲者を慰霊する施設(摩文仁の丘?)に行って、こんなキレイでのんびりしたところが、70年ほど前は地獄だったことをようやく信じることができた。
戦争の犠牲者はすべて平等。
ここで亡くなった人のことを思うと、自分たちもとても悲しい。
彼らがインド人として、納得できなかったのは沖縄に米軍基地があること。
自分の国は自分たちの力で守るのが当然で、国内に外国軍の基地がある状態はとてもおかしい。しかも沖縄には多すぎる。
インドにはインド軍の基地しかない。
国民の命や財産を守る安全保障は基本的に自国の力でおこなうべきで、他国にあまり頼らないほうがいいというのが彼らの考え方だ。
これについては前に書いたのでこの記事をどうぞ。
3年間この島国に住んでいて、築き上げてきた「日本」のイメージがひっくり返された、とはいかないまでも、大きく変わった。
今回の沖縄旅行でインド人の彼らに印象的だったのは、これまでとは違う世界を見て日本の多様性を感じたこと。
沖縄は自然も文化もとてもユニークだった。
移民毎年20万人受け入れ? 多文化共生社会を考えましょ「目次」
コメントを残す