【血の輸出】スイス人傭兵の強さの理由、忠誠心と犠牲

 

8月1日はスイスの誕生日だ。
1291年のこの日、3つの州(ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデン)が「永久盟約」を結んだことからスイス建国の日になっている。
スイスは首都をベルンとし、九州と同じくらいの面積に約867万人が住む小さな国。
でも、そこで使われている言葉はドイツ語(62.1%)、フランス語(22.8%)、イタリア語(8.0%)、ロマンシュ語(0.5%)とかなり複雑だ。
5世紀ごろ、4つの民族がスイスに住むようになったことで、こんなややこしい言語状況が生まれた。

永久盟約が成立したあと、さっそく試練が襲う。
1315年のモルガルテンの戦いなど、14世紀に2回にわたってオーストリア(ハプスブルク家)が攻めてきたが、これを撃退したことでスイスの州同士のキズナが強固になる。
それと同時にヨーロッパのなかで、「あれ?アイツら強くね?」とスイス兵に注目が集まった。
そして15世紀のブルゴーニュ戦争において、ヨーロッパ最強と言われたフランスのブルゴーニュ軍を倒したことで「最強オブ最強」となり、スイス兵の強さをヨーロッパ中に知らしめた。

 

山を越えるスイスの傭兵

 

九州と違ってスイスには海がない。
スイスは内陸部にあって山の多いところだから、畑をつくって農作物を育てるにはあまり向いていない。
そんな事情があったし、それまでの戦いで精強さを見せたスイス兵にオファーが集まったことで、傭兵が主要産業になっていく。
特定のリーダーが部隊を率いる傭兵とちがって、スイスでは州政府が傭兵の訓練をおこない、装備も与えていた。もともとの素質に加えて、州レベルの特別なトレーニングを受けたことがスイス傭兵の強さの理由になっている。
州政府が雇用主と契約を結んで傭兵を派遣して、外貨を稼いでいたことから「血の輸出」とも言われた。
特定の個人よりも、州と契約を交わす方がいろいろと安心だったと思う。
こうしてスイス傭兵は15世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパで行われたさまざまな戦争に参加するようになる。

 

 

このときのスイスは、優しいおじいさんと女の子が山で暮らす「アルプスの少女ハイジ」のイメージとはまったく違う。
でも、実はおじいさんは引退した元すご腕の傭兵で、あるとき「ヒャッハー!」と襲ってきた武装集団を返り討ちにした、という展開がマンガならありそう。
…と思っていま確認したら、ハイジの祖父は本当に元傭兵という設定だった。

おじいさんの戦闘力は分からないけど、実在したスイス人傭兵は恐ろしく強い。
スイスの槍兵を軍隊の中核にしないで戦場で勝つことは、ほぼ不可能と考えたフランスの王もいたという。

The Valois Kings of France, in fact, considered it a virtual impossibility to take the field of battle without Swiss pikemen as the infantry core of their armies

Swiss mercenaries

長い槍を持って、集団で攻撃を行なうのがスイス傭兵の戦い方

 

スイスの傭兵の“魅力”は強さと勇気と忠誠心だった。
自分の命と引き換えにしてまで依頼主を守ろうとしたことで、数々の悲劇的な伝説も生まれた。

 

スイスにある「嘆きのライオン」の像
1792年にフランス革命が起きた際、国王ルイ世16の家族を守って殺害された、300人とも700人以上ともいわれるスイス傭兵の慰霊碑。
背中に矢が刺さったひん死のライオンは傭兵、ライオンがかばっている盾はルイ16世とその家族を表している。

 

スイス傭兵の強さにヴァチカンが目を付けて、1505年に教皇ユリウス2世が採用した。
そのため1527年の「ローマ劫掠(ごうりゃく)」の時には、教皇クレメンス7世を守るために189人のうち147人が犠牲になる。

徹底的な死・破壊・略奪でヨーロッパを変えた「ローマ劫掠」

現在のスイスはもう「血の輸出」を禁止している。
それでもローマ法王を守ることは例外とし、この伝統は500年以上たったいまでも続いている。
バチカンのスイス衛兵

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。