幕末の日本にやってきたドイツ人のシーボルト。
優秀な医者だった彼は特例として出島の外へ出ることができ、長崎の郊外に「鳴滝塾」を開くことが認められて多くの日本人に蘭学や医学を教えた。
でも、去り際は最悪。
江戸幕府が禁止していたのに、日本地図を持ち出そうとしたのがバレて、シーボルトは国外追放となって終われるように出て行った。
そんなシーボルト事件から100年ほどが過ぎたことし2020年、10月から昭和アニメの名作『うる星やつら』が放送される。
この時代のアニメの中から三大美女のアンケートをとれば、「ラムちゃん」も入るかもしれないが、『銀河鉄道999』のメーテルと『ルパン三世』の峰不二子は間違いなくランクインする予感。
上の記事を書いてる時、シーボルトの孫がメーテルのモデルになったという話を知って驚いた。
シーボルトが日本を去る直前、弟子の二宮敬作に、妻の日本人女性との間に生まれた娘の養育をまかせた。
その娘の娘、シーボルトからは孫娘にあたる楠本 高子(くすもと たかこ:1852年ー1938年)が、松本零士さんの描いたメーテルのモデルになったという。
そのご尊顔がこちら。
ドイツ人の血が25%ある高子はどこか”純潔の”日本人とは違う。
シーボルトの娘である楠本 イネが性暴力という不幸な形で娘を生むと、「天がただで授けたものであろう」という投げやりな気持ちから、その子を「タダ子」とよんだ。
それが後に「高子」と改名される。
(まあ「タダ子」は児童虐待レベルだし。)
メーテルや『宇宙戦艦ヤマト』のスターシアを生み出した松本零士さんは若いころ、美しい女性として切れ長の目と細いあごをもつ女性を描き続けていた。
なんでそんな女性を理想的に思ったのかは、自分でもよく分からない。
でもある日、楠本高子の写真を見てそのナゾが解けたという。
産経新聞(2011.12.23)
そこに写っていたのが、メーテル、スターシアによく似た細面の若い女性だった。そのときのことを松本さんは「自分が描いてきた女性と気づき、大変な衝撃を受け写真に見入ってしまった」と振り返る。
メーテルにモデルの女性いた! 松本零士が語る不思議な〝出会い〟
高子が亡くなった1938年(昭和13年)に松本さんが生まれた。
そんな運命的な偶然もあって調べてみたところ、松本さんの父親と高子の住んでいたところは近くだったことが分かり、「家に伝わる古い写真や言い伝えなどから、高子とも縁のある家だったようだ」と記事で話す。
松本さんは切れ長の目と細いあごをもつ女性を”美しい”と思っていて、そのイメージからメーテルやスターシアを描いた。
高子の写真を見た時、「私が描き続けてきたのは、まさにこの女性だ」と衝撃を受けて、「私が先祖から受け継いだ“記憶”」によって、自分の理想とする女性像が出来上がったのだと感じたという。
だから、松本さんはシーボルトの孫娘である楠本高子を見ながら、メーテルやスターシャを描いたわけではない。
メーテルのモデルについてご本人は、高校生時代の同級生や八千草薫などを挙げているから、高子はいわば「遺伝子レベル」のモデルだ。
「あなたの傍にいても、あなたは私に気が付かないでしょうね。」
「私は、あなたの想い出の中にだけいる女。」
このセリフは本当にメーテルにふさわしい。
【日本のミスコンの歴史】東京百美人・初代NO.1は末弘ヒロ子
2018年、タイで徴兵免除された「かわいすぎるニューハーフ」
日本の「kawaii(かわいい)文化」とは?枕草子の「うつくし」の情緒
日本の「kawaii(かわいい)文化」!海外の反応は?由来は?
コメントを残す