1945年のきょう8月14日、日本はすでに降伏を決めていて、翌日に天皇がそれを国民に伝える準備が進められていた。
つまり、まだ米軍による本土爆撃は継続中でこの日が最後の攻撃になる。
そんな日に、大阪の国鉄京橋駅にいた人たちは本当に運がなかった。
この年の3月から大阪市を中心に米軍が無差別爆撃を何度もおこなっていて、1万以上の民が死亡したという。(大阪大空襲)
最後の空襲でターゲットとなったのは、大阪市にあったアジア最大規模の軍事工場「大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)」だ。
この日、約150機のB29が大阪へ飛来してくると、1トン爆弾をドカドカと投下する。
これで大阪砲兵工廠は壊滅し、巻き添えをくらった大阪城にも大きな被害が出た。だけではない。
いまもつづくロシア軍によるウクライナ侵攻で今年4月、駅にミサイルが撃ち込まれて50人以上が犠牲になる。
こんな惨劇が8月14日、大阪にも起きた。
造兵廠は軍事工場だから戦争なら仕方ないとして、その北東にあって、大勢の市民が避難していた京橋駅にも1トン爆弾を投下したのは国際法違反だろう。
これでおびただしい数の乗客が亡くなった。
そのときの様子はきっと上の映像と同じだ。
地面には大量の血が流れ、身体の一部や大部分を失った遺体がいくつも転がっていて、崩壊した建物を前に人々が泣いている。
身元の判明している210人以上の犠牲者は、特定不可能となった500~600人ほどの犠牲者よりは、運がよかった。
この次の日に「玉音放送」を聞いて、戦争が終わったことを知った遺族はどう思ったのか。
空襲の翌年の京橋駅(1946年6月)
「京橋駅空襲」が起きた8月14日に中国東北部(満州)では、多くの日本人がソ連軍に虐殺される「葛根廟(かっこんびょう)事件」が起きている。
非武装の女性や子どもを戦車でひき、立っている者が無くなるまで銃撃し、1000人以上の避難民が殺害された。
日本が降伏を受け入れた後もソ連軍は9月まで攻撃を続けていたから、これは14日や15日といった日付は関係ない。(ソ連対日参戦)
とはいえ、戦後に生まれたいまのほとんどのロシア人にこの悲劇の責任はない。
ただ日本人として、この出来事を記憶や歴史から消してはいけないと思う。
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