「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」
樺太(カラフト)にいた10人の電話交換手の女性はそう言い残すと、1945年のきょう8月20日、郵便局で自殺を図ってそのうち17~24歳の9人が亡くなった。
この悲劇を忘れてはいけない。
それで樺太に近い北海道の稚内市で追悼式典が開かれた。
朝日新聞(2022/08/21)
終戦後に自決した「九人の乙女」 旧ソ連軍侵攻の悲劇伝える記念祭
8月9日に長崎へ原子爆弾を投下されてひん死の状態になった日本に同日、「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄してソ連軍が攻めてくる。(ソ連対日参戦)
15日、日本が降伏を発表するとアメリカ軍やイギリス軍は戦闘をストップしたのに、それにもかかわらずソ連は侵攻をやめず、11日からは「樺太の戦い」が始まった。
それでも、真岡郵便局に勤めていた女性交換手たちは避難をしないで、ソ連軍の侵攻のようすを電話で伝え続けた。
しかし、ソ連兵がやってきたら、命を失うだけではなく、耐えられないような性暴力を受けるかもしれない。だから、彼女たちは「これが最後です。さようなら」のメッセージを伝えた後、青酸カリなどをのんで9人が自決した。
ほかにもソ連兵に射殺された人もいて、真岡局の犠牲者は19人にのぼる。
(真岡郵便電信局事件)
戦後、9人のために慰霊碑が建てられた。当初、自殺は「日本軍の命令である」と碑に刻まれていたが、実際にはそんな事実はなく、生存者の証言もあったため後に削除された。
そもそも、なんでこんな誤記が生まれたのか。
※理解を深めるために、この北海道放送の動画をぜひ見てほしい。
「ソビエト上陸が迫る樺太の悲劇 ”九人の乙女 “の元同僚たち 」戦後75年 北海道と戦争」
上の映像で同僚だった方が言っているように、この悲劇はソ連が攻めてこなければ起きることはなかった。
でも、それが現実になっていたあの時はもう女性にとっては、服毒自殺をするのは仕方のない選択肢だった。
同じように軍事侵攻を受けて、ソ連兵に占領された満州の敦化(とんか)では約170人の日本人女性が監禁され、毎日レイプされたのだから。
同じ建物の中で女性の悲鳴や、「殺して下さい!」といった叫び声が聞こえてきたことから絶望して、青酸カリで集団自決を図って20人以上が死亡した。(敦化事件)
「終戦後」に死なないといけなかったというのは、いろいろとおかしい。
でもそれは過去のことで、そんな悲劇や惨劇が二度と起きないようにすることに歴史を学ぶ意義がある。
いまロシアにいるほとんどの人が戦後生まれで、彼らにこうした過去を重ねることはできない。
知人に日本文化が大好きで、着物を着たり華道をならうロシア人がいる。
「九人の乙女」など忘れてはいけない過去はあるけれど、それと同時に、新しい人たちと明るい未来を築くことが現世代の役目だ。

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