1年を24の季節に分けた「二十四節気」によると、日本はきのうから「白露(はくろ)」に突入した。
大気が冷えて露(つゆ)ができ始めるころで、次は「秋分」だから、もうかなり秋に近づいている。
ということで、今回は日本と天気の話ですよ。
「二十四節気」はすでに決まっているからいいとして、天気を予測することには高度な知識がテクが必要だ。
2020年の韓国では豪雨や台風が発生した。
…ということならよくある気象現象で、人知を超えた自然をコントロールすることはできないし、人の力でこれを止めるのは無理。
でも、現代の科学技術をもってすれば、天候の変化を予測することならできる。
韓国の気象庁は2020年に、台風10号は東に経路を変更し、朝鮮半島には上陸しないと発表した。
しかしそのその直後、朝鮮日報はこう報じる。(2020/09/07)
台風10号「ハイシェン」、韓国を強打…被害続出
台風はこないという予報から、緊急避難令を出すのが遅れた自治体もあって、韓国の気象庁はいつものようにネットでサンドバッグ状態になる。
こんな感じに韓国気象庁はよく期待を裏切るから、「誤報庁」や「中継庁」と国民に揶揄(やゆ)される。
一方、日本の気象庁は、台風は韓国を通過すると正確に予想していたから、韓国民の評価や信頼が高まってしまった。
人はいつの時代でも、明日の天気が気になる。
だから、それを予想することは世界各地であった。
でも科学が未発達だった江戸時代に、気象衛星やスーパーコンピュータを駆使して正確に予測し、和服を着たサムライがそれを発表するというのは『銀魂。』の話であって、当時はそれまでの経験やその人間の解析力で天気を予想していた。
特に船乗りにとって、天候は命にかかわる重大事。
だからすぐれた船頭に要求されたのは船を動かす能力ではなくて、空模様などから、これからの天気を正確に判断する「予測力」だった。
天気を予測するために空の様子をよく見ることを、「日和見(ひよりみ)」という。
韓国人でさえ自国よりも日本の気象庁を信頼するほど、科学の進んだいまではもうこの日本語に天候観測の意味はなくなった。
じ~くりと観察することから、自分の立場をハッキリさせず、その時の情勢をよく見て勝ちそうな側、自分の有利なほうにつこうする態度をいまでは「日和見」と言う。
こういう人間は当然、「日和見主義な人はなぜそんな自分に罪悪感を感じないのでしょうか?」とヤフー知恵袋で質問されるほど嫌われる。
そんなむかしの日本人の経験則(観天望気)からはこんな言葉というか、知恵も生まれた。
「夕焼けの次の日は晴れ」
「ハチが低く飛ぶと雷雨」
「ツバメが低く飛ぶと雨」
湿度が高くなると、空気が“重くなる”から鳥や虫は低く飛び、すぐに雨がやってくるという。
日本が日和見を抜け出して、近代的な天気予報をするようになったのは明治時代になってから。
でも当時の予測力はダメダメで、予測を外しまくりの巻。
あまりにも当たらないことから、日露戦争では逆に縁起が良いということになって、「天気予報」と書いた紙を弾除けのお守りにした日本兵もいたという。
産経新聞のコラム『産経抄』(2022/9/4)
日露戦争では「天気予報」と書いたお守りがはやったと聞く。敵の弾には「当たらない」と。
9月4日
いっそのこと韓国人も最強の不幸除けとして、スマホの待ち受け画面を韓国気象庁の建物にすればいいのに。
明治の文明開化に庶民はパニック!ポストや電線を見た日本人の反応は?
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