10月13日は「引っ越しの日」だ。
元ネタとなった記念的な引っ越しとは1868年(明治元年)の10月13日に、明治天皇が京都から江戸城(いまの皇居)へ移動したことを指す。
思えば1868年は、
・江戸が「東京」へ改称された。
・元号が慶応から「明治」に改められた。
・天皇が東京に入りした。
と江戸時代の面影を徹底的になくした年だった。
このころ明治新政府の中では、宮中の「数百年来一塊シタル因循ノ腐臭ヲ一新」するためには首都を京都からほかへ移すことが必要だという意見があって、当初は大坂が有力視されていた。
でも、幕末になって江戸のパワーや魅力が薄れていくと、故郷へ戻っていく人びとが増えていったから、明治天皇にお引っ越しいただいて、ここを「帝都」にすることで求心力をマシマシにして、日本の中央として活気をよみがえらせようとした。
そんなことから明治元年の10月13日、明治天皇が京都から江戸城へ移動し現在にいたる。
(東京奠都)
台湾では大都市・台北に住む人たちを、それ以外の地方に住む人が「天龍人」と冷めた目で呼ぶ(こともある)。
これはハイステージにいる台北人を「高貴な人たち」と揶揄するネット用語。
明治政府の都合や考えなんて知ったことではなく、「千年帝都」である京都には、今もそのプライドを持ち続けている「天龍人」のような人もいる。
20年以上前、ボクが京都の大学に合格し、送られてきた通知を見たら「上洛の際は~」と書いてあってナゾに包まれた。
古代の日本人は中国にあこがれの感情を持っていて、平安京を隋や唐の都・洛陽に重ねてそう呼んだことがこの背景にある。
21世紀になっても「上洛」と言うのは京都人の発想で、中国人でもこんな言葉は使わない。
「いえいえ、そんなん今では誰も気にしてませんよ~」とニコニコしながら言っても心の中では、「“日本の京”は京都以外にありえない。妥協とは堕落」と思う京都人もいるらしい。
明治天皇がいなくなった今では「上京」を使うことはできず、かといって「京都は日本の都」という鉄のアイデンティティーを持っているから、その他大勢の都市との“格”違いを示すため、「上洛」という言葉を使うのだと京都人から聞いた。
じゃあ、京都の人は東京へ行くことをどう表現するのか?
それを尋ねると、「上京」はダンコ拒否して「東(あづま)下り」と言う人もいるらしい。
以上の内容をふまえて、自由で無責任な本音が書き込まれたネット掲示板「京都カースト」を見てみよう。
・京都御所の前を通るたびに、いつか天皇は京都に帰ってくると毎回のようにいう。
・東京からですら「田舎からよお来た」と言われる
・他の都道府県から人が来ることを上京という。例え東京からでも。
・京都に来ることを「上京」どころか、「上洛」と呼ばせる。
・入洛も言う。「ブッシュ大統領入洛」という風に使う。
・「東京」は許せても名古屋周辺を「中京」と呼ぶことは許せない。
1868年の東京遷都によって、「千年帝都」は終わってしまった。
その“傷あと”は、まだ京都人の心の中に残っているのだ。
でも、明治の幻の計画「大阪遷都」が実現して、天皇陛下を大阪に“とられる”という悪夢に比べれば300倍マシでしょ。
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