ことしの夏、リッチなセレブなオレは京都旅行で、一泊1500円ほどの底辺ゲストハウスに泊まったわけだ。
部屋はベッドが4つあるドミトリーで国籍・人種に関係なくぶち込まれる。
アメリカ人雑すぎる。
深夜0時ごろ部屋に戻ると、20代の2人の女の子がいる。
「フー・アー・ユー?」と丁寧な英語で聞くと、イスラエルから来たという。
エルサレム出身のユダヤ京都、いやユダヤ教徒だった。
京都も歴史のある都市だけど、さすがにエルサレムには負ける。
エルサレム(イェルサレム)は高校世界史で習う超重要都市だから、覚えておきなはれ。
ダヴィデがイスラエル王国の首都とし、南北分裂後はユダヤ王国の首都になった。ユダヤ教のみならず、キリスト教・イスラーム教の聖地でもある。ソロモンが建設したヤハウェ神殿の一部が、「嘆きの壁」として残っている。
「世界史用語集 (山川出版)」
イスラエル王国は紀元前11世紀から紀元前8世紀まで存在したユダヤ人の国。
794年、泣くよウグイスで勝てる相手ではない。
九州の隣にイスラエルがある。
エルサレムに昼蛙、いや、翻るイスラエル国旗
ボクが日本人と分かると「今から行ける京都っぽいところはどこかある?」と聞いてくる。
一番いいチョイスは、今すぐベッドに入って目を閉じることだ。
明日早く起きて自転車でまわったほうが絶対いいって。
と言ってみたけど却下される。
それで先斗町(ぽんとちょう)を提案してみた。
あそこならこの時間でも、京都っぽさを感じられる。
写真を見せると2人とも興味を示す。
「ユダヤ教徒のイスラエル人が先斗町を歩いたらどう思うのだろう」
そんな興味がわいてきたから、ボクも一緒に行くことにした。
先斗町とは鴨川の西側にある南北500mほどの細い道のこと。
京都情緒が味わえるところだ。
くわしいことは先斗町のれん会のホームページをどうぞ。
この地に水茶屋が初めてもうけられたのは正徳二年(1712)の頃といわれ、初めは高瀬川を上り下りする高瀬舟の船頭や旅客目当ての旅籠屋が茶立女を置いていました。
安政6年(1859年)になって芸者嫁業の公許が下り、祇園と並ぶ花街として有名になりました。
先斗町
イスラエル人と先斗町に到着。
さっそく通りを歩く。
「ワ~オ!」という派手なリアクションは見せないけど、スマホで写真や動画を撮っていたから、それなりに楽しんでいたと思う。
「この道はいつごろできたの?」
歩きながらそう聞かれた。
平安京ができたころじゃね?と思って「1000年以上まえ」と答える。
でも、さっき「正徳二年(1712)の頃」と書いてあったから、大ウソをついてしまった。
ドンマイ。ってヘブライ語でなんて言うんだろう?
2人に先斗町の感想を聞いたら、「エルサレムの旧市街みたい」と言う。
京都とエルサレムには長い歴史がある。
それにここは石畳の細い道だから、旧市街の道を連想させる。
そういうことで、2人にはエルサレム旧市街が頭に浮かんだ。
これはまったく予想外。
ボクもイスラエルに行ってエルサレム旧市街を歩き回ったことがあるけど、先斗町とそこがつながるとは夢にも思わなかった。
外国人は発想が違うから、一緒にいるといろんな発見があっておもしろい。
エルサレム旧市街
ユダヤ教徒のイスラエル人
手水では宗教的な理由から水を手にかけることはいいけど、口に含むことは拒否する。
これも予想外だった。
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