【偶像崇拝】図工に雪だるま、日本人とイスラム教徒の違い

 

つい最近、コロナ禍の”鎖国状態”が終わって、やっと外国人に日本旅行が解禁された。
それでSNSを見ると京都や東京で、「外国人観光客が戻ってきた!」という報告が多々ある。
インバウンドがほぼ絶滅し、「ひん死の病人」と言われた20世紀はじめのオスマン帝国のようだった観光業界にも復活の兆しが出てきた。

思えばコロナ前はこんな感じに、たくさんのイスラム教徒が旅行を楽しんでいたもんだ。

 

 

浅草周辺にはイスラムの教えに沿っていることを示す、ハラール(HLAL)マークを貼っている店がたくさんあって、イスラム教徒を歓迎していることが分かる。
日本の文化や価値観を知ってグルメを満喫し、相応のお金を落としていってくれたらウィンウィンだ。
でも2014年にあった「浅草寺仏像破壊事件」のようなことをするイスラム教徒はノーサンキュー。

この年の6月、東京の大学に通うサウジアラビア人のイスラム教徒が台東区・浅草寺のお地蔵さんや観音さまの像を力づくで引き倒して、器物破損の容疑で逮捕された。
詳しい動機はワカラン。
でも、イスラム教では偶像崇拝が禁止されていて、その教えを特に厳しく守るサウジアラビアの空気と無関係とは思えない。
ムスリムだから”酒に酔っていた”ということではないはず。
こういう場合、ネット「あっらー」と書き込むぐらいならまあ大丈夫だが、警察官が容疑者にカツ丼を出すときっと国際問題になる。

 

イスラム教では、神を目に見る形で表現してはいけないという絶対のルールがある。
それにアッラーだけを信じるイスラム教徒にとって、別の神の像をつくり、それを崇拝する行為は二重の意味で許されない。
神や仏の像に手を合わせることがアタリマエの日本人と、偶像崇拝が厳禁されているイスラム教徒では価値観や考え方が決定的に違う。
もちろん21世紀に生きるほとんどのムスリムは、そんな考え方を異教徒や外国に押し付けることはなく、平和共存している。
でも、頭の狂った連中はそうでもない。

2001年にアフガニスタンで過激派のターリバーンが、「反イスラム」を理由に千年以上の歴史のある巨大仏を爆破しやがった。

 

 

イスラム社会では日本でいうと覚醒剤の使用のように、犯罪レベルで偶像崇拝が禁止されている。
だからといって、これはどうなのか?

ロイター通信(2015年1月14日)

雪だるまは反イスラム、サウジの学者が宗教見解

サウジアラビアでも雪は降る。
それで「イスラム教徒でも雪だるまを作っていいの?」と子供にきかれた父親が宗教サイトに質問したところ、有名なイスラム法学者が「雪だるまは反イスラムである」との宗教見解(ファトワ)を出して議論になった。
この法学者は以前にも、「ミッキーマウスは悪魔の手先」とするファトワを出してイスラム圏で批判を浴びた人物だ。
この人によると、たとえ楽しみが目的であっても、雪像を作るのはダメ。木や船、果物や建物といった魂のない物なら神はお許しになる。
でもこんな意見はイスラム教徒にとっても例外的で、「信仰のためすべてを恐れている。病的だ」といった批判が続出したという。

イスラム教では神のような崇拝対象については、絵や像を作ることを禁じているが、人間や動物にその考え方は適用されていない。
偶像崇拝が厳格に禁止されているサウジアラビアでもアニメは放送されているし、政府がロボットに市民権をあたえたこともある。

サウジアラビアと女性の立場 ロボット市民に男女同じ入り口

 

「中二病でも恋がしたい!」というように、ムスリムでも雪だるまを作って、ネットにアップしたい人はいるのだ。

 

これは日本に住むマレーシア人のイスラム教徒

 

最近は日本に定住するイスラム教徒も増えてきた。
それで学校に子供を通わせる親のなかには、音楽や図工の授業には参加させない人もいる。

産経新聞の記事(2018/9/26)

音楽は「楽器は悪魔の呼びかけ」という記述がハディース(預言者ムハンマドの言行録)にあるため、図工は絵や粘土の制作などが「偶像崇拝の禁止」にあたるとの考えからだ。

ムスリムの子供増加 学校で理解と折り合いを

 

このへんの価値観が日本人とはまったく違う。
仏像を破壊するのは論外として、こういう宗教事情には学校側も配慮する必要があるから、子供は図書室などで過ごすことが多いという。

このまえインドネシア人とバングラデシュ人のイスラム教徒と会う機会があったんで、「偶像崇拝と図工」について話をきいてみた。
彼らも、リンゴや建物など命の無いモノなら絵や像を作ってもいいけど、人間や犬、鳥などはダメだという話を聞いたことがあるけど、自分たちが通っていた小・中・高校ではまったく問題視しないで、図工で動物や親の絵を描いたり、粘土で像を作ることはフツウにしていたと言う。
いちばん大切なことは絵や像を作る行為ではなくて、それに込められた意味や目的。
ただのモノとして見て楽しむだけならいいけど、一線を越えて、それに祈ることは絶対にいけない。
「偶像はOK、崇拝はNG」という彼らの見方からすると、偶像崇拝の禁止を理由に図工を拒否するイスラム教徒の考え方はやや過激。

そんな適応力や柔軟性のイスラム教徒でも、10月15日の「人形の日」は問答無用、全員一致でダメと言うはず。
空き箱やペットボトルみたいに、人形をポイっと捨てる感覚は日本人にはなかなかない。
それでこの日に全国のお寺などで、壊れたり役割を終えた人形やぬいぐるみを供養したり、感謝するイベントが開催されるのだ。
日本の歴史で政府が偶像崇拝を禁止したことは一度もなく、戦国時代にやってきた宣教師や日本人の信者がそれを理由に仏像を破壊して問題になり、結局はキリスト教が日本から締め出された。
これはイスラム教で最も根源的で重要な考え方だから、非ムスリムの日本人との価値観や考え方の違いはホントにデカい。

 

 

イスラーム教 「目次」

【日本人とイスラム教徒】インシャアッラーという“不幸フラグ”

イスラム教のタブー③聖書コーランを燃やしたら、どんな事態になるか?

宗教のタブー②日本の会社がイスラム教の「豚肉・コーラン」で国際問題に

校則でポニテ禁止!イスラム教と同じ理由。女は男の欲情をあおるから。

タイ人が牛肉を、イスラム教徒が豚肉を食べない理由:観音様とハラール

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。