母国と比べて、トルコ人が日本を「住みやすい!」と感じる理由

 

ほんじつ10月30日は1918年に、第一次世界大戦でオスマン帝国が連合国に降伏した日(ムドロス休戦協定)。
*昔は「オスマン・トルコ帝国」が主流だったけど、最近ではオスマン帝国と言うことが多い。

この後に結ばれたセーブル条約によってアルメニアに独立されたり、ギリシャやイタリアに領土を奪われるなどして、オスマン帝国はダメダメになってしまう。
「もう無理っぽい…」と弱体化していく祖国に多くの国民が失望し、トルコ革命が起こって1922年にオスマン帝国は滅亡する。
この革命を主導して、トルコ共和国の初代大統領になったのがケマル・アタテュルク
イスラム教の影響があまりに強かったオスマン帝国を過去のものにするため、彼はこんな改革をおこなう。

・シャリーア(イスラム法)を廃止して憲法を制定する。
・イスラム学院を閉鎖する。
・一夫多妻制を禁止する。
・アラビア文字とヒジュラ暦(イスラム暦)を廃止し、ラテン文字とグレゴリオ暦を使う。

こうして、社会の隅々にまで浸透していたイスラム教の影響が消えていき、新生トルコは西洋的な国へと生まれ変わる。
このへんの流れは日本の明治維新と同じだ。
そしてイスラム教を国教の地位から引きずり下ろして、トルコ共和国は宗教国家から世俗国家になっていく。

この改革は成功し、いまではケマル・アタテュルクはトルコの国民的英雄となって、イスタンブールには「アタテュルク国際空港」がつくられたし、すべての紙幣のデザインにアタテュルクが採用されている。

 

ケマル・アタチュルク

 

そんな国から留学生としてやってきて、日本の大学を卒業した後、日本の会社で働いているトルコ人の知人がいる。
家族思いの彼女がこの島国で生活することを選んだ大きな理由に、「社会に対する宗教の影響力がゼロ」ということがあった。
もちろん、厳密には「0」じゃない。
だとしても、知り合った日本人はみんな「無宗教ですがナニか?」という感じだったし、母国と比べたら、そのトルコ人にとって日本は宗教色が皆無の国。
そんな彼女はこう語る。

トルコ革命で共和国ができて社会的にはイスラム教と“サヨナラ”したのに、イスラム教の価値観や考え方を重視するエルドアン大統領になってから、女性にはヒジャブ(髪を隠す布)を着用する圧力が強まるとか、トルコはまたオスマン帝国の時代へ逆行しつつある。
ケマル・アタチュルクが様々な改革を断行し、トルコは宗教国家を脱して世俗国家になったのに、それが否定されて先祖返りが起きている。
イスラム教を深く信仰している人にとっては“ご褒美”でも、信心がほとんど無い自分にとっては苦痛でしかない。
服装や男女交際でイスラム教のルールを守って行動したくないし、1日5回のお祈りもめんどくさい。

このトルコ人はヨーロッパの大学で学んでいて、西洋的な価値観を身につけたから、社会の宗教色をよけい嫌う。

 

そんな知人が母国に絶望したのは、以前イスラム教の聖職者が少年に性暴力をしたにもかかわらず、「あの人はリッパな人だから」と実質無罪になったことだ。
オスマン時代、成人男性と少年との同性愛は禁止されたこともあったけど、全体的にはほぼ黙認されていて、気に入った少年を買って愛して、戦いがあるとお気に入りの少年を連れて行くといったことが常識的にあったらしい。(イスラーム世界の少年愛
まあこのへんは織田信長の側近、森 成利(蘭丸)にもそんなウワサがあったし、日本にも昔はそんな風潮が無かったわけでもない。(衆道

でも、同性愛と児童への性的虐待はまったく違う。
彼は“聖人”だからということで、宗教が理由で、違法行為が帳消しになるのを見ると絶望しか感じない。
これではトルコ憲法より、イスラム教のシャリーア(イスラム法)が上回ったことになって、オスマン時代に退行している。

 

ハロウィンの渋谷で「イエス=キリスト」のコスプレをする人
トルコでアッラーや預言者ムハンマドのコスプレをしたら、袋叩きにあって殺されるかも。いや冗談抜きで。

 

グーグルさんに日本語で「イスラム教 トルコ」と入力すると、関連ワードに「ゆるい」が出てくる。
トルコは中東にある国だけど、アラビア語やヒジュラ暦を廃止したし、もうアラブの国ではない。
日本人から見るとサウジアラビアやイラク、シリアなどに比べて、トルコでイスラム教の影響が“ゆるい”のはトルコ革命の成果だ。

【アラブと中東の違い】日本人の“無知”にトルコ人がイラっ。

ケマル・アタチュルクを尊敬する知人にとって、宗教の影響が強くなっていくほど、トルコから心が離れていく。
そんな時に日本へ来たら、この国では宗教と政治が完全に分離されていて驚いた。
服装や食べ物などの社会生活で宗教の規制はないし、宗教のタブーを気にしないで自分のやりたいことを自由にできる。
トルコではイスラム教を信じている“フリ”をしていたけれど、ここではその必要はないどころか、「わたしは宗教を信じていません」と言うとかえって周囲の人に安心される。
トルコでこれはかなりの問題発言。

思えば、江戸幕府はオスマン帝国とは正反対だった。
儒学を学問として奨励したことはあっても、特定の宗教を保護したり、宗教法を現実の法にして国民に守らせることも無かった。
トルコ革命も明治維新も「西洋化」という面では同じでも、日本はすでに脱・宗教化した社会だったから、ケマル・アタチュルクの目指す世俗化は必要なかった。
伝統が無いから、宗教色の強かった昔への「先祖返り」も日本では考えられない。

ひと昔前は「クリスマスの一週間後に、初詣へ行く日本人は宗教を分かっていない。そんないいかげんな態度だと外国人にあきれられる」と、日本人が日本人を上から目線で叱っていたように思う。
でも知人のトルコ人にはそれが、「最高かよ」と言うほどの日本の魅力になっている。
最近になって人工中絶の禁止が進むアメリカ社会を見て、キリスト教にウンザリするアメリカ人がまわりに何人もいる。
宗教的に無味・無臭の日本は、宗教の社会への影響を嫌う外国人にとってはきっと居心地がいい。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。