争い合っていた2つの勢力が和解に合意して、一方が友好の証(あかし)として食事に招待する。
そして、「どもどもー」とやってきた人たちを捕まえて殺害する。
そんな卑劣な“だまし討ち”にスウェーデン人が激怒して、デンマークとの徹底抗戦をきめて独立を勝ち取った。
今回の記事はそんな前回の記事のスピンオフ。
相手に友好をアピールし、油断させたところを襲って息の根を止めてしまう。そんなだまし討ちは日本の歴史にもあった。
上の蛮行、「ストックホルムの血浴」があった1520年と同じ時代、豊前国(いまの福岡県のあたり)に、城井鎮房(きい しげふさ)という男児が生まれた。
大人になった鎮房は鹿の角を手でつかんで、引き裂くほどの怪力無双だったといわれる。
そんな戦国武将の鎮房は豊臣秀吉と敵対して、黒田長政が率いる豊臣軍に攻め込まれるも、地の利を利用したゲリラ作戦で撃退してしまう。
すると次は長政の父親で、“智将”として知られる黒田孝高(よしたか)が相手だ。
秀吉も怖れたというこの黒田官兵衛(=孝高)は強敵で、兵糧攻めをくらって、最終的には食べ物が無くなり、鎮房は降伏を決意する。
相手が負けを認め、こちらがそれを認めたらもう敵・味方は関係ない。
かつての敵は友になった。
…という少年ジャンプのような考え方を黒田長政はしていなかった。
13歳になる鎮房 (しげふさ)の娘を人質とするなどの条件で、長政は降伏を受け入れたと思わせた。
長政は和解と友好の宴会を開いて、それに鎮房を招待する。
「待てあわてるな、これは黒田の罠だ」と忠告する側近もいたと思うが、鎮房はその宴(うたげ)に参加することにした。
このとき長政は鎮房の一族を皆殺しにして、今後の不安を一掃することを決めていた。
そんな闇を知ってか知らずか、少数の共の者と酒宴の席にやってきた鎮房はその場で襲われ、殺害されてしまう。
別の場所にいた家臣団も黒田側の襲撃を受けて全滅し、城にいた鎮房の父・長房も黒田軍の攻撃を受け殺害される。
13歳の鶴姫は侍女と一緒に磔(はりつけ)にされて殺された。
この「だまし討ち」は父の官兵衛が計画し、息子が実行したという。
「ストックホルムの血浴」なら、怒りに燃えたスウェーデン人が一致団結し、デンマークと戦って独立を勝ち取ったのだけど、一族をほぼ皆殺しにされた城井家にそんな余裕はない。
何とか逃げ延びた人がいて、子孫を残すことができただけ。
でもこの後、鎮房の亡霊が現れて、長政は恐怖に震える日々を過ごした。
勇猛な武将を謀略で殺害し、娘まで処刑するからこんな報いを受けるのだと、長政は思ったはず。
この「鎮房の呪い」がどこまで真実かはナゾ。
でも、官兵衛(孝高)はその話を信じて、「城井神社」を建てて鎮房の霊を祀ったのはガチ。
鶴姫が磔にされたとされる場所にも、鶴姫の霊を祀る宇賀神社が創建された。
独立戦争ではなくて、神社を建てるというのはとても日本人的な発想だ。
合元寺(ごうかんじ)にいた城井鎮房の家臣は、黒田軍の襲撃を受けて全員が討ち死にした。
その舞台となった寺の壁は斬り合いの血を浴びて赤く染まり、何度塗り直しても血痕が浮き出てくるから、壁全体を赤く塗ってしまったという。
NHKの大河ドラマでは、このだまし討ち(虐殺)は息子の独断で官兵衛はしらなかったということになっていた。
さすがにドラマの主人公をだまし討ちにするような腹黒い悪党にするわけにはいかなかったということでしょう。
歴史の捏造ですね。
会津戦争で長州兵はほとんどいなかったのに、『八重の桜』では長州藩が鬼のように描かれていると不満を言う人がいました。
ドラマですから演出はあるでしょうね。