16世紀の西洋人が日本人を見て、印象的だった3つのこと

 

1620年のきょう9月20日、7年ぶりにあの男が日本へ帰ってきた。
仙台藩士の支倉 常長だ。
「なるほど。で読み方は?」という人も多いと思われるこの人物は、「はせくら つねなが」という。
支を「はせ」と読むのがポイント。

1609年にスペイン船のサン・フランシスコ号が台風にあって、いまの千葉県の海岸に座礁したことがきっかけで、日本とスペインとの交流が始まる。
そしてそれがきっかけで、仙台藩の大名・伊達政宗はヨーロッパへ使節を送ることにした。
政宗の目的はスペインとの貿易と言われているが、実はスペインと軍事同盟を結んで江戸幕府を倒そうとしたとの説もあり。
この時は家康が大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼす前だから、その可能性はある。
とにかくこうして、支倉常長を代表とする約200人の慶長遣欧使節が爆誕。
支倉は1613年10月、宣教師のルイス・ソテロと一緒にいまの宮城県石巻市を出発して、翌14年にスペインへ到着した。
結果からいうと、彼は現地でキリスト教徒になって、日本人(有色人種)として唯一のローマ貴族になったが貿易の話はうまくいかず、1620年9月20日に帰国した。

 

支倉 常長
初めて油絵で描かれた日本人というウワサもある。

 

初めてヨーロッパへ渡った日本人がこの支倉さん。
と言いたいところなんだが、それはヨーロッパ人に連れて来られた日本人奴隷と言われている。
でも、このとき初めて日本人を見たヨーロッパ人は多かった。
当時の西洋人の視点から、文化や行動の違いについてこんな記録が残されている。

・彼ら(日本人)は食べ物を指でさわることなく、3本の指で2本の小さな棒(箸)を持って食べる。
・彼らの剣はとてもよく切れるので、柔らかい紙を刃の上に置いて「フッ」と息を吹きかけるだけで切ることができる。

西洋人からすると、日本人が箸を使って料理を食べることは興味深くて、日本刀の切れ味のすごさには目を見張る思いだったようだ。
この時代にもフォークはあったが、肉を手づかみで食べるヨーロッパ人は多かった。
宣教師のルイス・フロイスは、日本人は箸で食事をしていて、ヨーロッパ人は手で食事をしていたと書いている。

そして、なかなか笑わせてくれるのがコレだ。

“They blow their noses in soft silky papers the size of a hand, which they never use twice, so that they throw them on the ground after usage, and they were delighted to see our people around them precipitate themselves to pick them up.”

Hasekura Tsunenaga

 

彼らは手のひらサイズの柔らかい絹のような紙で鼻をかむが、それは2度と使わないので地面に投げ捨てる。
私たち(ヨーロッパ人)がそれを拾うために身をかがめるのを見ると、彼らは喜んだ。

常長たちが和紙で鼻を「チーン」とかんでポイっと捨てると、ヨーロッパ人がその鼻紙を手に入れようと地面に群がった。
そして、日本人はその様子を見て面白がる。
最初は驚くか、ドン引きしただろうけど。
当時の西洋人は手やハンカチを使って鼻をかんでいて、紙を使うという習慣がなかったから、これはとても珍しがられた。
常長が鼻をかんだ和紙は、ヴァチカンの博物館に展示されたという。

なんか、西洋人のパイロットが投げ捨てたコーラの瓶を「魔法の道具」と考えた『コイサンマン』という映画を思い出した。
16世紀の西洋人が日本人を見て印象的だった箸・刀・和紙の3つは、いまでも日本人に対する彼らのイメージでもある。

 

 

ヨーロッパ 目次

宗教 「目次」 

宣教師ルイス・フロイスが見た戦国時代の日本女性 ②

価値観の”押しつけ”①宣教師、キリスト教を世界に伝える

日本での価値観の衝突:16世紀は奴隷で、今は土葬墓地

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。