【アメリカの闇】奴隷解放の歴史・いまある人種差別問題

 

いまや日本中の遊園地や自治体にあるマスコットキャラクター。
わが浜松市ではたまに『家康くん』が浜松城公園に登場して、老若男女問わず、フレンドリーに市民と交流して記念写真に応じている。
マスコットキャラはテーマパークや自治体の印象を良くするための存在なのに、人々の不評を買うようなことをして、イメージをダウンさせる逆神になることもある。

マスコットキャラとしてこれは致命的だった。

 

 

ことし7月、アメリカの遊園地「セサミプレイス」で、セサミストリートの着ぐるみキャラが白人にはフレンドリーにハイタッチをしたのに、2人の黒人の子どもには首を振って拒否した(ように見えた)。
この動画を投稿した人は、このキャラは白人の女の子にはハグをしたと書き、「とても不愉快で信じられない。もう二度と行かない」とお怒りだ。
ネットで炎上すると、遊園地側はこんな説明をして火消しを図る。

「あのキャラが拒否したのは、子どもを抱いて写真を撮ってほしいというNGリクエストに対するもので、特定の人に向かってしたものではない。」

つまり、自分たちに責任はないですよと。
でもCNNのように、アメリカの大手メディアがこれを「人種差別な行為」として報じて特大炎上すると、一転して「ご家族に心から謝罪します」と平謝りして、遊園地側は従業員の教育を徹底すると表明した。
いまのアメリカで、“人種差別”のイメージが付くのは社会的には致命的だ。
ではここで、この問題い深くかかわる奴隷解放の歴史を見ていこう。

 

背中をムチで打たれて、傷だらけになったアメリカの黒人奴隷(1863年)

 

黒人を奴隷として売買の対象にして、強制労働させることにはアメリカ国内でも「非人道的だ」との批判が高まっていく。
1860年の大統領選挙で奴隷制度に反対するリンカーンが勝利すると、南部の多くの州が反発して「それならサヨウナラ」とアメリカ合衆国からの脱退を宣言。
人間を安く買って、給料ナシで働かせる奴隷制度によって生活していた南部の奴隷所有者にとっては、その制度の消滅は自分たちの経済的基盤の崩壊を意味する。

これで翌61年に南北戦争が始まった。
この戦争の中で、「全ての奴隷たちは、連邦が得た戦争の捕虜と見なされ、永遠に奴隷の身から解放され、以後再び奴隷となることはない」という奴隷解放宣言がリンカーンによって出される。
北部勢力圏に行けば自由を得られるということで、今度は南部の黒人奴隷が「サヨウナラ」と逃げ出す。
奴隷たちに兵士の食べ物や制服などを作らせていた南部連合は打撃を受けるしかない。
まあ自業自得だ。

そして1865年に北部が勝つと、リンカーンを中心にして奴隷解放宣言を法律化した形のアメリカ合衆国憲法修正第13条が成立する。
「奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない」と憲法に明記され、アメリカの奴隷制度は公式に廃止された。

 

それから約160年が過ぎたいま、アメリカで奴隷制は歴史教科書やネットの中で存在している。
でも、人種差別の意識がまだ根強く残っていることは、アメリカで起こるいろいろな出来事からわかる。
マスコットキャラクターにそんなイメージを付けられるなんて、雇用主としてはこれ以上ない最悪の「バイトテロ」だ。
ゆるキャラ・マスコットキャラが全国各地にいて、「着ぐるみ大国」の日本でこんな話は聞いたことない。
織田信長が黒人を名誉ある武士にした日本では、この手の人種差別的行為は起こらない気がする。

 

 

アメリカ 「目次」

ピクニックの語源は「ランチを食べて黒人奴隷を選ぶ」?

米の人種問題①黒人ラッパーの「奴隷はチョイス」に批判殺到。

「黒人ウザイわ」。差別ツイートに見る日本社会の黒人への見方

日本とアメリカの違いは人種問題:御社で白人と黒人の割合は?

黒人の人種差別問題⑥アメリカの「奇妙な果実」って知ってる?

アメリカの人種差別⑦NYは肌の色で警官に射殺される確率が違う

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。