ガンガンガンバッテ他人になろうとしたらバカにされ、自信過剰になったと思ったら自虐的になって、ようやく本来の自分に戻った。
今回はそんな話ですよ。
戊辰戦争で徳川幕府をぶっ倒して、新政府を樹立した明治の日本。
「いまこの瞬間から、新しい日本がはじまる…」なんてことを思ったかもしれないが、明治政府はまず、欧米列強から押し付けられた不平等条約の改正という、デッカイ宿題をクリアしないといけなかった。
そのため、いまの日本は江戸時代の”遅れた”社会ではなく、西洋の常識や価値観を身につけた文明国であることを欧米人に理解してもらおうと、外務大臣だった井上馨(かおる)を中心として欧化政策がはじまった。
1883年に開館した日本初の洋式社交クラブ「鹿鳴館」はその象徴だ。
慣れない洋服を着て、西洋のダンスを一生懸命に練習して踊った「鹿鳴館外交」は、結果的には西洋人にバカにされて、日本人の必死さが空回りするというかなりハズイ展開になる。
「西洋人にこびるな!」といった批判が国内からも上がって、1887年に条約改正に失敗した井上が外務大臣を辞職すると同時に、鹿鳴館時代も終了した。
その後、欧化政策から方針転換した日本は軍事力や経済力を高めていき、日清戦争で中国に勝利すると、ようやく欧米列強に力や地位を認められて不平等条約の改正に成功する。
踊る日本人 in 鹿鳴館
「鹿鳴館外交」は西洋の文化やマナーを身につけて、日本に西洋文化を定着させるきっかけになったかもしれないが、「西洋人=文明人」と日本人が考えて、それになりきろうとする試みは西洋人から冷笑され失敗に終わった。
日本人が日本を主体として、欧米列強の進んだ制度や文化を取り入れるのはいいとしても、ただの“西洋コスプレ”だと当然こうなる。
さて、話はトップ画像にあるバナナですよ。
日本にバナナは昔からあって、たとえば俳句の天才・松尾芭蕉の名前は「ジャパニーズバナナ」と呼ばれる観賞用の植物「バショウ」に由来している。(江戸深川の芭蕉)
外側は黄色くて中身は白いことから、バナナは人種差別的な意味合いで使われることもある。
日本人や中国人など東アジアの人間、または東南アジアの人たちのなかで、アメリカの価値観や文化を取り入れて、精神的には白人になったように見える人間をやゆして「バナナ」と呼ぶ。
“Banana” is also a slur aimed at some Asian people, that are said to be “yellow on the outside, white on the inside”. Used primarily by East or Southeast Asians for other East/Southeast Asians or Asian Americans who are perceived as assimilated into mainstream American culture.
個人的には20年ほど前にタイを旅行している時、アジア人を下に見て、白人を崇拝するような日本人旅行者について、宿のタイ人スタッフがこう呼ぶのを聞いて初めて知った。
アジア人が同じアジア人をバカにして「バナナ」と言うのは聞いたことあるけど、アメリカ人がアジア人にこう言ったケースは知らない。
ちなみに白人に憧れる日本人を、日本人がバカにする言葉にイエローキャブもある。
両親が中国出身で、北京冬季五輪で金メダルを獲得した中国系アメリカ人のネーサン・チェン選手が、中国の人権侵害を批判するアメリカ選手の発言に「同意する」と言ったことから、中国人から「バナナ」と批判されたことがある。
時代背景を抜きにして、鹿鳴館で西洋式のテーブルマナーで食事をして、洋服を着てダンスを踊っていた日本人も今から思えば虚しいバナナだった。
日本軍の攻撃を回避しようとするプリンス・オブ・ウェールズとレパルス
1941年のきのう12月10日は、太平洋戦争のマレー沖海戦で日本軍の攻撃機がイギリス軍の誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈した日。
この戦艦を「世界最強」と称賛した首相のチャーチルは、日本軍に沈められたと聞いて絶句し、「戦争全体でその報告以上に私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と著書に書く。
この作戦に参加した壹岐春記大尉は後日、同じ海域を飛んだとき、イギリス軍の将兵の霊のために2つの花束を投下し敬礼した。(マレー沖海戦)
もう、このころの日本人はバナナではない。
でも、「日本軍は強い!米英軍などには負けん!」という過剰な自信も、2度の原爆投下で打ち砕かれる。
戦後になると精神が逆転し、日本を否定して欧米をもてはやす「バナナ化」が進んだような時期もあった。
明治の欧化政策や昭和初期の鬼畜米英は歴史教科書に封じ込めて、バナナのような日本人も少なくなったいまでは、西洋を美化したり日本を卑下しないで対等に見て、それぞれの良いところや欠点を把握できる日本人が増えたように思う。
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