日本でミカサ・アッカーマンは有名だけど、「ウィッカーマン」を知ってる人はマレ。
でも世界的には、「ウィッカーマン」のほうが有名かもしれない。
そんな話を秋葉神社へ行った時、一緒にいたナイジェリア人から聞いた。
日本人が神社へ行く大きな目的に、神さまへ願いごとをするというものがある。
秋葉神社には自分の願いを書いたこんなお皿を投げて、輪っかの中を通るとそれがかなうという神事?アトラクション?があった。
「病気を治してほしい」とか「敵との戦いで勝ちたい」とか、人が神に願いごとをするのは古代から人類に共通してあった文化、人間の本能だ。
でも、タダで願いをかなえてほしいというのは都合がよすぎる。
そんなことで国や地域によって内容は違っても、人は願いと引き換えに何らかの対価を払ってきた。
いまの日本では「天狗の輪投げ」や交通安全のお祓いなど、それに相当する料金、いや「初穂料」を提供しないといけない。
願いと引き換えになる神への捧げものには当然、価値あるものが選ばれる。
ヨーロッパやイスラム世界でよくあった捧げものは羊で、歴史的に羊はよく生贄(いけにえ)にされて、されまくってその代表格となってしまい、「スケープゴート」という言葉までつくられた。
だがしかし、羊よりも、もっとずっと価値の高いモノがあるではないか。
国や宗教の違いを超えて、人間を殺してその命を神に捧げる「人身御供(ひとみごくう)の風習はかつて世界各地にあった。
秋葉神社でナイジェリア人と「お願いごとの文化」について話をしていると、「なあ、ウィッカーマンって知ってるか?」と彼が聞いてくる。
バカにすんな、そのぐらい知ってるわ。
エレンは私と一緒にいないと早死にする、じゃない、だと?
じゃあ何だそれは?
これはけっこう有名なんだぜ、と言う彼から聞いた話はかなり衝撃的だった。
ウィッカーマン
15メートル級でエレンと同じぐらい?
古代ヨーロッパにはドルイドという宗教があって、生贄の儀式が行われていたと考えられている。
その一つが、紀元前1世紀にカエサルの書いた『ガリア戦記』に出てくるウィッカーマンだ。
当時、ドルイドの影響が大きかったガリア地方では、人型の大きな籐(とう)細工の像を作って、生きた人間を詰め込んで火をつけたという。
In the mid-1st century BC, Caesar wrote in his Commentary on the Gallic War that a large wickerwork figure with limbs was filled with living men and set on fire.
想像してごらん。
この巨人の中に人間や家畜をギッシリ詰め込んだ後、火を放ってすべて焼き殺す地獄絵図を。
これは、歴史的な事実としては確認されていない。
でも古代ヨーロッパのドルイドには、ウィッカーマンのような人身御供の儀式があったという記録は残されている。
さいわい(かどうか知らんけど)、ウィッカーマンに入れられるのは犯罪者だったという。
でも、十分な人数の罪人がいなかった場合は、普通の人も選ばれたかも。
これにインスピレーションを受けて、イギリスで制作されたホラー映画「ウィッカーマン」(1973年)だ大ヒットして、この名が世界的に有名になる。
秋葉神社に行ったナイジェリア人も知っているほどに。
たしかにこの発想とヴィジュアルは、世界中にあった生贄のなかでも特に強烈だ。
ドルイドの人たちはこれと引き換えに、どんな願いを神にしたのか。
コメントを残す