【ジュリアおたあ】家康に仕えた、キリシタンの朝鮮人女性

 

激しい戦闘が終わった。
見渡すと、あちらこちらで細い煙が立ち上っていて、地面には血を流した死体が転がっている。
そんな戦場に一人の少女が立っていた。
その子を保護した軍の幹部から、「どうします? この子供」と聞かれた王は「よし、ワシがあずかろう」と引き取ることにした。
戦争孤児から王の養女となったその子供はその後…。

そんなラノベみたいな話を現実にしたのが「ジュリアおたあ」って女性だ。
日本史では「悲劇の」というまくら言葉がつく、この女性の直筆の手紙が見つかったら、それはもう全国ニュースになるしかない。

読売新聞の記事(2023/04/20)

家康に仕えたが棄教を拒み流刑、悲劇のキリシタン「ジュリアおたあ」初の直筆書状

豊臣秀吉の朝鮮出兵で攻め入った小西行長(ゆきなが)の軍が、いまの平壌のあたりで少女を見つけて保護する。
その後、彼女は大名である行長の子として育てられた。
敵である朝鮮人の子供だったのに行長が自分の子にしたのは、「おたあ」の目にキラリと光るものがあったからかも。
この特徴的な名前は、保護された時に名前を聞かれ、朝鮮語で「オプタ(없다 無い)」と答えたことが由来になったといわれる。

こうして有力大名の子供として育てられた「おたあ」に、「関ヶ原の戦」という二度目の転機がやってきた。
このとき行長は判断を間違って西軍についてしまい、家康の敵として戦ったから、敗戦後には切腹を拒否して斬首された。小西家も没落する。
「おたあ」は美人で頭もよかったらしく、今度は家康に引き取られることになった。
「おたあ」の名前の由来はさっき書いたとおりで、「ジュリア」は典型的な戦国時代の日本女性の名前のハズがない。
小西行長はアウグスティヌスの洗礼名を持つキリシタン大名だったから、その子供だった「おたあ」もキリスト教徒で、「ジュリア」の名前をつけられたのだ。
となると、名前に日本人の要素はほぼないことになる。
行長が武士として名誉ある切腹ではなくて、斬首されることを望んだのは、キリスト教徒は自殺を禁止されていたから。

その後、「ジュリアおたあ」は伏見城で働き、夜になると神にお祈りをして、キリスト教の書を読む日々を過ごす。
徳川家康が将軍の座から退いて隠居生活にはいった時、ジュリアを駿府城へ連れて行ったから、家康はそうとうこの女性を気に入っていたことがわかる。

第三の転機は1609年の「岡本大八事件」だ。
岡本大八が有馬晴信(ありま はるのぶ)をだますために、家康の朱印状を偽造したことがバレて大問題になる。
こんなコトをしでかした岡本大八が許されるはずもなく、生きたまま焼かれた。
くわしいことは「岡本大八事件」を見てもらうとして、この事件を引き起こした岡本大八も大名の有馬晴信もキリシタンだったから、家康はキリスト教を危険思想とみるようになる。
結果的に岡本大八事件は、家康によるキリスト教禁止のトリガーとなった。
ということで、ジュリアちゃんは大ピンチに。

どうしても信仰を捨てられなかったジュリアは、1612年のキリシタン禁止令で駿府から追放されて伊豆大島へ流される。
さらに新島への移動を命じられ、さらにさらに神津島に行かされる。
その後、なんだかんだあって長崎に移ったという記録はあるが、ジュリアの最期についてはハッキリわかっていない。

朝鮮人の戦争孤児、日本の大名の子供、美人、かしこい、キリスト教徒、徳川家康のお気に入り。
そんな情報過多の「ジュリアおたあ」には、朝鮮半島で生き別れた弟がいた。
その弟らしき男性が長州藩にいると知った「おたあ」が、もし本人であれば会いたいと書いた直筆の書状が今回見つかった。
山口県の萩博物館で、今月29日~6月18日まで公開されるということだから、興味のある人はぜひ。

 

 

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4 件のコメント

  • その子の名前が”없다”から変更された”おたあ”という点が興味深いですね。
    朝鮮は徹底した男尊女卑思想が支配していた性理学の社会だったため、ほとんどすべての女性の名前がありませんでした。こういうエピソードでも”朝鮮必亡”の理由を目にするんですね。
    朝鮮にそのまま生き残っていたら蔑視される陶磁器工として消えたはずの李參平と沈壽官が日本に捕まり、日本一であるだけでなく世界最高の陶磁器を作った主人公になれたという事実と共に、この少女からも朝鮮の「必亡」の理由を探すしかないのが惨憺たるところです。

  • 朝鮮人女性に名前が無かったのは知られた話ですね
    閔妃のような立場の人すらいわゆる実名が確認できないという驚くべき事実
    朝鮮時代の女性はいったいどんな扱われ方をすれば名前さえ与えられなかったのか理解に苦しむ

  • >朝鮮にそのまま生き残っていたら蔑視される陶磁器工として消えたはずの李參平と沈壽官
    いまの韓国社会では言いにくい意見ですが、事実ですね。
    李參平が朝鮮に帰国しないで、日本にいることを選んだ理由がまさにそれでしょう。
    「ジュリアおたあ」は日本であまり知られていませんが、興味深い女性です。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。