もう生きる希望も気力も無くなって、自分はいつ死んでもいいと世の中に絶望したヤツを「厭世GUY」という。いやしらんけど。
さて、ここで登場するのは中国・清朝末期の軍人の袁 世凱(えん せいがい)だ。
いま韓国では、中国大使の言動がこの中国人を思い出させて、不愉快にさせていると尹(ユン)大統領も言及して話題を集めている。
朝鮮日報(2023/06/14)
尹大統領「ケイ海明駐韓中国大使の態度に袁世凱が思い浮かぶという話がある」
中国大使はつい最近、韓国の最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表を大使公邸の夕食会に招待し、公開で「中国の敗北に賭ける人は後から必ず後悔する」と尹大統領を批判するようなことを言う。
この発言に対して韓国では内政干渉であり、国民感情を刺激すると怒ると、中国側は韓国の要人と交流するのも大使の仕事で、個人を攻撃するべきではないと反発。
ということで、韓国と中国はいまかなりギクシャクしている。
こんな感じに(韓国サイドから見れば)中国が韓国の主権を侵害するようなことがあると、19世紀後半の朝鮮へやってきて、上から目線のド失礼な態度をとった袁世凱がよく出てくる。
この人物はいったいどんな GUY(ヤツ)なのか?
朝鮮で活躍していたころの袁世凱
韓国社会で改めて袁世凱に注目が集まったことから、ハンギョレ新聞がくわしく紹介している。(2023-06-15)
尹大統領が駐韓中国大使をたとえた「袁世凱」とは誰
この記事によるといまの韓国人にとって、袁世凱を象徴するキーワードは「浅慮・横暴・暴言・ごう慢極まりない」とどれもネガティブなものばかり。
ひょっとしたら歴史上の人物としては、韓国人にもっとも嫌われる中国人かも。
19世紀後半、朝鮮は政治や経済では独立していても、外交的には清に従属していたから、清国の代表(公使)として派遣された袁世凱には誰も頭が上がらない。
彼は馬や駕籠(かご)に乗って自由に王宮の門を出入りできたし、朝鮮政府がおこなう行事では当然のように上座に座った。
そんなヤツでも中国での立場は低い。
皇帝に仕える政治家、李 鴻章(り こうしょう)の部下にすぎなかったから、袁世凱は中国ではただの軍人でしかない。
それが朝鮮では「王」のように振る舞うことができたのだ。
このとき朝鮮を統治していたのは閔氏(びんし)政権で、日本はそれを支えていた。
そんな閔氏政権&日本に対する反発から、1882年に兵士による大規模な反乱、壬午軍乱(じんごぐんらん)がぼっ発。
これで閔氏は中央政府から追い出され、朝鮮は大院君が支配するようになる。
この壬午軍乱では日本人も殺害されたから、怒った日本がもし軍を派遣して朝鮮軍を撃破したら、そのあと日本の影響力はぐっと強まるかもしれない。
朝鮮を「属国」と考えていた清に、そんな事態を見過ごせるはずがない。
反乱の鎮圧を名目に清の軍隊がやってくると、日本軍と対峙し、話し合いで解決して日中の軍事衝突にはいたらず。
この壬午軍乱で、清の皇帝が認めた朝鮮国王を大院君が排除して政権を奪ったことは、中国皇帝への侮辱になると判断され、袁世凱は大院君を拉致して中国へ連行した。
そして朝鮮国のトップである大院君は、囚人のように幽閉されてしまう。
その拉致事件について、ハンギョレ新聞には「無理やり拉致し、清に圧送、軟禁したのも23歳の袁世凱だった」とある。
これは日本でいうなら、中国軍が東京へやってきて、天皇を中国へ連行するようなもの。
そんなことが起きたら、まず責任者が自害して、日本は中国との戦争を決意したはずだ。
中国では大きな権限もなかった23歳の若ぞうが、対朝鮮ではこんなことが簡単にできてしまう。
だからいまの韓国で袁世凱は「浅慮・横暴・暴言・ごう慢極まりない」という主権侵害のシンボルとされている。
中国で幽閉中の大院君(1883年)
ここまでされても、朝鮮は清に何も言えなかった。
政敵の閔氏(びんし)にとっては、この状態は好都合だったけれど。
壬午(じんご)軍乱でアメリカ政府はこんなコメントを出す。
「朝鮮は清国の従属国家であり半島における何世紀にもわたる封建的国家としての支配は清国によって承認された」
これが当時の国際社会の見方で、このあと朝鮮は実質的に清の支配下に入る。
それが原因の1つとなって1894年に日清戦争が起こり、清が日本に撃破されると、ショックを受けた袁世凱は近代的な軍隊の必要性を強く感じた。
力が無いとなめられる。
当時はそんな時代だったのだ。
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