別の世界線にこんな日本があったとする。
価値観や考え方の違いから、政府から弾圧を受けて苦しんでいる人たちが日本を脱出し、海を渡って新天地へたどり着いて「シン・日本」を建設するーー。
この世界線にある日本にとってはラノベ小説の話だけど、ヨーロッパの歴史では実際にそんなことがおきた。
17世紀のイギリスではキリスト教の国教会が支配的で、 国王ジェームズ1世はそれに従わないカトリック教徒や清教徒を厳しく弾圧していた。
カトリック教徒たちがこれに我慢できなくなり、1605年にガイ・フォークスが国王を爆殺しようとしたが、失敗に終わる。
現代のイギリスでは、これを記念して、毎年その日に花火が打ち上げられている。
日本で天皇爆殺未遂事件がおきたとして、後にその日が“花火大会”になることは考えられない。イギリス人とは感覚が違う。
清教徒の一派である「分離派(ピルグリム)」の人たちは、激しい宗教弾圧にテロで対抗するのではなく、イギリスからの脱出を決めた。
「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれる彼らは、信仰の自由を求めてメイフラワー号に乗って、アメリカ大陸へ出航する。
そして、新天地(ニュー・プリマス)へ到達すると、自分たちにとって理想的な社会を建設することをめざし、1620年のきょう11月20日、メイフラワー誓約に署名した。
その後、ニュー・プリマスはニューイングランドの最初の植民地となり、イギリスとの独立戦争を経て、1776年7月4日に独立を宣言してアメリカ合衆国が爆誕する。
アメリカに向かう船に乗るピルグリム・ファーザーズ
ガイ・フォークスに爆殺されそうになった国王ジェームズ1世は、徳川家康と手紙を通じて交流したことがある。
その少し前、戦国時代の末期、フランシスコ・ザビエルが来日して、日本でキリスト教の布教活動をはじめた。
織田信長はこれを認めていたが、豊臣秀吉は日本人が奴隷にされたこともあってキリスト教を禁止し、1587年に「バテレン追放令」を出す。
でも、これは徹底されず、宣教師たちは日本で布教活動を再開する。
しかし、江戸幕府はキリスト教を日本の宗教(神道・儒教・仏教)の敵と認定し、1614年に「慶長の禁教令」を出し、全国でキリスト教の信仰を禁止する。
これによって長崎と京都の教会は破壊され、キリスト教徒は海外へ追放された。
その中にはキリシタン大名の高山右近もいて、彼はフィリピンへ行って亡くなった。
その後、日本にいたキリスト教徒は「隠れキリシタン」となり、幕府にバレないように神への信仰を続けることとなる。
そして1865年、彼らは長崎にいたフランス人神父に名乗り出て、神父を大感激させたが、明治政府を怒らせ、流罪が言い渡された。
ジェームズ1世の時代のイギリスでは、清教徒たちは自主的に国を離れ、同じ時代の日本ではキリスト教徒が追放された。
日本のキリシタンは日本から離れることを嫌がり、ヨーロッパのキリスト教徒は信仰を最優先に考えていて、祖国へのこだわりは薄かったようにみえる。
16世紀のフランスでユグノー戦争がおきたときも、弾圧を嫌がった多くのキリスト教のグループが自主的に外国へ移住した。
地下へ潜った日本のキリスト教徒とは対照的だ。
日本の歴史で人々が信仰を守るために、国外へ移動したという話は聞いたことがない。
ある集団が日本を脱出し、新天地でゼロから生活をはじめ、やがて祖国・日本と戦争をして独立するという歴史があったら、アニメみたいでワクワク感がある。
イギリスの歴史では実際にそんなことがあった。
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