10年ほど前に韓国のソウルを旅行した。
そのとき利用した宿のすぐ近くに、たまたまこんな像が立っていたから、その前を通り過ぎるたびに少し複雑な気持ちになった。
16世紀の後半、豊臣秀吉が朝鮮へ侵攻すると、強大な武力で朝鮮軍を圧倒し、すぐに現在のソウルにある王宮を占拠し、朝鮮半島では大きな被害がでた。
朝鮮の人たちはこの出来事に激しく怒り、その恨みは時代を超えて受け継がれていく。
19世紀に朝鮮を旅したイギリス人女性のイザベラ・バードは、そんな民衆の気持ちを知り、旅行記に「三世紀にわたる憎悪をいだいている朝鮮人は日本人が大嫌いで」と書いた。
そんな国難の中で登場したのが李舜臣。
韓国の歴史では、朝鮮出兵で鳴梁(めいりょう)海戦が行なわれたとき、李舜臣将軍はたった12隻の船で330隻の日本軍を撃退したとされている。
現在の韓国で彼は英雄視されていて、国民に尊敬する歴史上の人物を聞けば必ずトップ3に入る。
ただ、李舜臣に対する見方は日韓では大きく違う。
李舜臣の像が背後の王宮を守り、“侵略者”である日本をにらむような厳しい表情で南を向いて立っている。
その前を日本人が通るというのはちょっと微妙。
最近、韓国第二の都市・釜山で、そんな国民的英雄の名誉を汚しかねない“事件”がおきた。
まず、釜山市の中区が約4700万円の予算をかけ、環境改善事業のひとつとして公園の入口に李舜臣を描いた敷石を設置する。
しかし、その敷石は高速で撤去された。
その理由は、朝鮮日報の記事のタイトルを見れば一目瞭然だ。(2023/12/09)
「日本人に踏まれる」と批判殺到…李舜臣将軍が描かれた歩道のタイル、設置から三日で交換 /釜山
このところ韓国は日本人を対象に、全力で観光誘致キャンペーンを展開していて、たくさんの日本人が韓国を訪れている。
しかし、日本人が救国の英雄を踏むことは、韓国人としては許しがたい冒とく行為になるから、タイルを設置した中区には市民からの批判が殺到。
区は「申し訳ない」と謝罪し、これから行う事業では「歴史認識を適切に反映できるよう心血を注ぐ」と再発防止を約束した。
(でも、しばらくすると、どっかの自治体がきっとまたヤラカス)
日本人が李舜臣の像を見上げるのはいいが、踏みつけることは絶対に認められない。
李舜臣将軍の名誉を汚すことは韓国の国民感情を傷つける行為になり、韓国社会では重大な“罪”と見なされる。
記事を読むと、日本人だけが名指しにされているから、韓国人やほかの外国人なら特に問題はないらしい。
最近の韓国では、海外旅行先として日本が人気ナンバーワンに選ばれている。
実際、韓国の人たちは、日本の食べ物や伝統建築などの文化が大好きだ。
しかし、政治や歴史については、イザベラ・バードの記述で「三世紀」を「四世紀」に書き換えればそのまま通じる。
朝鮮出兵に対する憎悪はいまでも消えていないから、李舜臣の像の前を通ると、じゃっかん気まずい思いをする日本人もいる。
これから先、この数字が五世紀、六世紀‥と、どこまで増えていくかは誰にもわからない。
韓国の除夜の鐘①ソウルの普信閣・鍾路・明洞の観光(歴史)案内
韓国のソウルを漢字で書けない理由:漢城?京都?首爾(首尔)?
韓半島の三国時代、中国(隋、唐)は数回にわたって数百万人の兵力で高句麗に侵攻しました。
その結果、隋は自滅し、高句麗もあまりにも多くの叫びを受けて国力が衰え、結局新羅によって滅ぼされました。隋の高句麗侵略時に百万大軍の隋の軍隊をほぼ全滅させた高句麗乙支文徳将軍は、今でも韓国人にとって英雄です。しかし、李舜臣将軍の地位には及びません。勝戦の大きさから見ると、乙支文徳将軍の勝利がはるかに大きいにもかかわらず、乙支文徳将軍より李舜臣将軍の地位が高いです。その理由はやはり韓民族の根強い反日感情のためです。
朝鮮の歴史500年間、中国は事大で日本は蔑視してきた誤った価値観のためです。
まだその古い感情から抜け出せないので残念です。
朝鮮出兵の直後に、中国が攻めてきた「丙子の乱」があって大きな被害がでました。
でも、現在の韓国では朝鮮出兵に比べると、この出来事はほとんど語られていません。
やっぱり、国民感情によるものでしょう。