きょう10月26日は、日本と韓国にとって象徴的な日だ。
まず1597年に豊臣秀吉による2度目の朝鮮出兵である「慶長の役」が行われて、10月26日に日本水軍と朝鮮水軍がぶつかった。
韓国ではこの鳴梁(めいりょう)海戦について、名将・李舜臣の指揮する水軍が10倍以上の日本軍を撃破した、ということになっている。
そんな痛快な出来事があれば、これはもう映画化するしかない。
全国紙の中央日報はこの海戦についてこう書く。(2014.07.04)
たった12隻の船で330隻に及ぶ倭軍の攻撃に相対して戦った史上最も偉大な戦争「鳴梁大捷」を描いた戦争アクションだ。
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数でいえば絶対的不利な状況で多くの兵が逃げようとしたが、「臣にはまだ12隻の船が残っております」と王に言って、李舜臣将軍は軍を率いて勇敢に戦い、日本軍の船をつぎつぎ沈めて歴史に残る大勝利を収めたーー。
というのがこの映画の内容で、鳴梁海戦について韓国では一般的にこう考えられている。
でも、日本の認識はまったく違う。
日本語版ウィキペディアの説明を見ると、中型船数十隻の先鋒、本隊133隻、後方200隻以上と3つに分けた軍のうち、李舜臣の軍は先鋒だけを攻撃したことになっている。
朝鮮水軍は12〜14隻で、約10倍の兵力を持つ日本水軍のうち中型船30隻を攻撃し損害をあたえたが退却。その後、日本水軍が当該海域を掃討したのち当初の予定どうり後退した
圧倒的に多い敵を相手にするなら、ダメージをあたえてすぐに撤退するゲリラ攻撃をするのはアタリマエ。
自軍の2~3倍の日本軍に大きな損害をあたえたのだから、李舜臣が優れた将軍だったのは間違いないが、それぐらいの将軍はめずらしくない。
鳴梁海戦を全体的に見ると、日本水軍は先鋒をたたかれただけで、後ろに大軍はノーダメージでそのまま進軍し、鳴梁海峡を突破して朝鮮水軍の拠拠を占領することに成功したから、日本の勝利だったとする見方が多い。
(鳴梁海戦に関する文献総覧:海戦の実相を求めて)
李舜臣の書いた『乱中日記』には「賊船三十隻撞破」という記述があるだけで、日本の艦船を撃沈させたかどうか、または大破させたどうかも日本側の戦死者数も記されていない。
だから、李舜臣が日本軍にあたえた具体的な損害はナゾ。
でも韓国では未知の部分を想像で埋めて、「12隻の船で330隻の敵に勝利した史上最も偉大な戦争」とするから、日本との認識の差は絶望的になる。
さて、きょう10月26日は韓国にって超大事な記念日だ。
聯合ニュース(2022.10.25)
独立運動家・安重根の義挙113年 26日に記念式典=韓国
独立運動家の安重根(アン・ジュングン)が1909年に、初代韓国統監を務めた伊藤博文を中国のハルビン駅で射殺し、その後、裁判にかけられて処刑された。
これは国のために行った正義の行動だから、現代の韓国で安重根は「義士」、その行為は「義挙」と高く評価されている。
安は国民的英雄だから、彼をテーマにしたものはいまでも大人気。
朝鮮日報(2022/10/16)
安重根は李舜臣(イ・スンシン)と共に、韓国国民全てが敬慕する英雄だ。(中略)「安重根義士は歴史の中で剥製になった英雄ではなく、こうした困難の際に呼び出されて韓国人にプライドと慰め、刺激を与える存在」との解釈を示した。
小説・映画・ミュージカル…韓国は今「安重根ブーム」
当時の様子
「✕」が伊藤博文で、「兇漢」が安重根
安重根が伊藤博文をハルビン駅で射殺したことについては、日韓の認識は完全一致している。
でも元首相を暗殺されたのだから、これはどこの国でもテロ行為で、それを行った人間はテロリストになる。
だから、日本政府が安を「死刑判決を受けた人物」とする答弁書を閣議決定し、当時の菅官房長官が「安重根をテロリストと認識している」と公式に述べたのも、グローバルスタンダードからしたら当然だ。
植民地支配を受けていたインド人やベトナム人が、イギリスやフランスの要人を暗殺したら、英仏もその犯人を処刑してテロリストと認定するはず。
「英雄」なんて評価はありえない。
でも、安重根と李舜臣は「韓国国民全てが敬慕する英雄だ」という韓国では、スポーツの日韓戦で安を持ち出すからよく日本の反感を買う。
産経新聞(2015/12/29)
テロリスト「安重根」を持ち出し狂喜する韓国…節度ない非礼にはきっちり返礼を
ゲリラ戦のような海戦を「史上最も偉大な戦争」、テロリストを「英雄」と呼ぶほど日韓の歴史認識は離れている。
この差は埋められないから、もうほっとくしかない。
李舜臣や安重根の映画を作ったり、記念式典を開催することは韓国の自由だからいいとしても、自分たちと違った見方があることも、時々でいいから…… 思い出してください。
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同じ歴史の事件をめぐって韓日両国の認識がこれほど大きな差があるということに驚くばかりです。鳴梁海戰に対する朝鮮王朝実録·宣祖30年11月編にはこのように記録されています。
== 閑山島潰敗以後, 兵船、器械散失殆盡。 臣與全羅右道水軍節度使金億秋等, 收拾戰船一十三隻, 哨探船三十二隻, 於海南縣海路, 要口把截, 而有戰船一百三十餘隻, 從梨津浦前洋向來, 臣督水使金億秋、助防將裵興立、巨濟縣令安衛等, 各整兵船, 於珍島 碧波亭前洋, 與賊交鋒, 冒死力戰, 以大砲, 撞破賊船二十餘隻, 射殺甚多, 賊衆漂溺海中, 斬首八級。 賊船中有大船一隻, 建羽葆紅旗, 圍靑羅帳, 指揮諸賊, 圍把我船, 有鹿島萬戶宋汝宗、永登萬戶丁應斗, 繼至力戰, 又破賊船一十一隻, 賊大挫, 餘賊遠退。 有陣中投降倭, 指紅旗賊船, 認是安骨賊將馬多時。 獲賊物畫文衣、錦衣、漆函、漆木器、長(搶)〔槍〕 二柄等因, 已經節次, 咨報査驗外。 今據前因照得, 自閑山陷敗之後, 迤南水路, 賊船縱橫, 衝突可虞, 卽目小邦水兵, 幸得少捷, 稍挫賊鋒, 因此賊船, 不得進入西海。==
内容を要約すると、漆川梁海戰で兵船と兵器をほとんど流失したが、李舜臣将軍が戦船13隻と哨探船三十二隻を収拾して倭船130隻余りと戦い、大砲で敵船20隻余りを割ると射殺が非常に多く、敵が皆海の中に沈み、——– 鹿島萬戶 宋汝宗などが相次いで来て力強く戦い,また敵船11隻を破ると敵が大きく折れ、残りの敵も遠くに退いたが、—– 水軍が幸い小さな勝利を収め、賊鋒が少し挫折したので、これによって赤船が西海には進入できないという内容です。
朝鮮王朝実録は朝鮮の正史であるため、最も信憑性の高い資料です。しかも、これは李舜臣将軍が王(宣祖)にあげた狀啓の内容なので嘘はあり得ません。
戦争当事国である朝鮮と日本の記録が一部異なることはあると思いますが、どちらかの記録をけなすべきではないと思います。
安重根義士について日本がテロリストだというのは理解できます。当時、李承晩(イ·スンマン)博士もそういうテロをしてはいけないと話していましたし、日本の立場ではテロリストと言わざるを得ないでしょう。朝鮮がまともに国家を運営できなかったため、日本の支配を受けるようになりました。 朝鮮為政者の過ちです。しかし、過ちのない朝鮮民の立場では、日本統治時代から独立する道を進まなければならず、安重根義士は自分の祖国を支配する日帝に抵抗する行為をしたのです。現在の観点からは明らかにテロ行為ですが、当時は帝国主義時代で、安重根義士は祖国を取り戻すための行動をしました。「歴史」という観点から理解しなければなりません。
「日韓は歴史では分かり合えない」ということを分かり合うことが大事です。
李舜臣の『乱中日記』には「賊船三十隻撞破」と書いてあって、朝鮮王朝実録とは違います。
日本の記録も李舜臣に近いです。
本体に壊滅的ダメージを負っていたら、日本海軍が鳴梁海峡を突破し、朝鮮水軍の拠拠を占領することは不可能でしょう。「西海には進入できない」というのは何のことかわかりません。
インドやベトナムにも安重根のような英雄がいます。
でもわたしの知人は、イギリスやフランスにそう認識を求めません。
国が違えば見方が反対になることを理解しています。
ナポレオンはフランスの英雄ですが、スペイン人にとっては侵略者です。
同じ出来事、人物について評価はいろいろあるので、自分とは違う見方があることを受け入れないとケンカになるだけです。
李舜臣が嘘の報告をしたという見方がしっくりくる気がします。
安重根は親日で併合反対の伊藤を殺害したと言う見方がしっくりくる気がします。