大坂の陣と三十年戦争 日本と欧州の「戦う理由」の違い

 

きょうは12月19日で、クリスマスの直前だ。
日本人はクリスマスの日にはケーキやフライドチキンを楽しんで、それが終わったら、玄関にしめ飾りを付けて、歳神さまを迎える準備をしないといけない。
そして新年になったら、お寺や神社へ初詣に出かける。

そんなことで、年末年始の日本はキリスト教、神道、仏教のごちゃ混ぜ状態になるが、けっしてカオスになることはない。
日本人は一般的に宗教の違いを気にしないから、生活に3つの宗教が入り込んでいるのは自然な状態で、混乱が生まれることはない。

しかし、「日本の常識は世界の非常識」という。
知人のドイツ人は日本に来て、こんな日本の年末年始に戸惑った。
まず彼は、日本人の友だちからクリスマスパーティーに誘われて、プレゼントを用意するよう言われた。
そして、25日のパーティーの日、ドイツ人という理由で頭にサンタの帽子をかぶらされ、プレゼント交換をした。
すると、次に初詣に誘われたから、友だちと一緒に神社へ行ってお守りを授かった(買った)。
この流れは日本の文化では普通でも、ヨーロッパの考え方からすると、彼は違和感を感じざるをえない。
日本人は宗教の違いを気にしないけど、ヨーロッパ人は敏感だ。
そんな違いは昔からある。

 

12月19日は、1614年に「木津川口の戦い」があった日でもある。
このころの日本では、江戸幕府と豊臣家の2大勢力が対立していて、ついに「大坂の陣」がぼっ発。
徳川側には上杉景勝や伊達政宗、藤堂高虎などが味方し、豊臣側には真田信繁や長宗我部盛親などがついて、全国の大名たちが2つの陣営に分かれて激しく戦う。
結局、この戦いは翌15年に幕府側が勝利して、豊臣家は滅亡し、徳川家康が天下をとった。
「木津川口の戦い」で、豊臣軍と徳川軍が激突して大坂冬の陣がはじまったから、この戦いがスタートポイント、豊臣家にとっては“終わりの始まり”になった。

徳川軍の勝利が決定的になると、一部の兵士が民衆に襲いかかり、略奪や虐殺が発生する。
ある町民がその状況を次のように記録した。

「男、女のへだてなく
老ひたるも、みどりごも
目の当たりにて刺し殺し
あるいは親を失ひ子を捕られ
夫婦の中も離ればなれに
なりゆくことの哀れさ
その数を知らず」

 

大阪冬の陣
青が豊臣軍で、赤が幕府軍

 

大阪の陣があったころ、ヨーロッパでは「三十年戦争」(1618年〜48年)という、英語版ウィキペディアでこう表現される激しい戦いが行なわれていた。

「one of the longest and most destructive conflicts in European history」
(ヨーロッパの歴史で最も長く、最も破壊的な争いのひとつである)

約100年前に、ドイツでルターが宗教改革をはじめ、新しいキリスト教のグループであるプロテスタントが爆誕した。
一神教の世界には「自分との違いは間違い」みたいな、妥協や譲歩を認めない厳格な考え方があったから、たがいに相手を抹殺しようと争いがはじまる。

そんな宗教戦争の代表例が三十年戦争で、ヨーロッパ諸国は大きく2つの陣営に分かれた。

○ローマ・カトリック勢力

・神聖ローマ帝国(ドイツ)
・カトリック連盟
・オーストリア大公国
・スペイン帝国など

 

○プロテスタント勢力

・スウェーデン
・フランス
・イングランドなど

ヨーロッパ各国が参加したこの大戦争は、新教徒(プロテスタント)側の勝利に終わる。
三十年戦争では、450万から800万人の兵士や民間人が死亡したとされ、ドイツは壊滅的なダメージを受け、ヨーロッパ社会は大きく変わった。

 

 

三十年戦争では、多くの傭兵が街で略奪や虐殺をはたらき、「男、女のへだてなく〜目の当たりにて刺し殺し」という惨劇が発生していた。
傭兵隊長は兵士たちの残忍な行為を防ぐために、ときどき、上の絵のような公開処刑を行った。

三十年戦争は、言ってみればヨーロッパの宗教戦争のラスボス。
これは別格としても、この時期にはヨーロッパのさまざまな国で、カトリックとプロテスタントの勢力が対立して争っていた。
高校で世界史を学んだ人なら、フランスで1562年にはじまったユグノー戦争が頭のどっかにあるはず。

16世紀・日本とフランスの分水嶺 清洲同盟とユグノー戦争

 

日本の歴史では、「宗教的な正しさ」をめぐって戦いが起こることは皆無ではないが、ほぼ無かった。
三十年戦争のように、日本の諸大名が信仰する宗教によって2つの陣営に分かれ、殺し合う出来事はありえない。
日本で発生した大きな戦いは、大阪の陣のように「だれが天下をとるか?」といったモノが本当に多かった。

一神教の世界に生きていたヨーロッパ人に比べると、日本人は宗教への関心が薄かったから、それが戦いの動機になることは本当に少なかった。
大坂の陣の際、諸大名にとっては、徳川家康や豊臣家が信仰していた宗教なんてどーでもよかったが、三十年戦争ではそれによって敵と味方が分けられた。
違いを許さないキリスト教の不寛容さは、日本人の価値観には合わない。
だから、江戸時代に徹底的に排除された。

こうした歴史的な背景があったら、クリスマスプレゼントを買った1週間後に、神社やお寺でお守りを買う日本人の行動はすごく普通だ。

 

 

ヨーロッパ 「目次」

ドイツ料理にジャガイモの理由。三十年戦争とフリードリヒ大王

宗教が国をつくった具体例 オランダ・ベルギー・日本の場合

【日本の夜明け】仏教僧の政治介入を終わらせた織田信長

【1地域1宗教】宗教戦争からのアウグスブルクの和議 inドイツ

 

4 件のコメント

  • そうですね..
    韓国も多くの宗教が混在しますが、やはり仏教とキリスト教が二分する様相です。
    そして、キリスト教は他の宗教を受け入れません。キリスト教徒が韓国の祖先である檀君像を壊すこともあり、お寺に来て器物を破損して逃げたりします。
    やっぱり、韓国と日本はだいぶ違いますね。

  • 欧米や中東の歴史を見ると、一神教は他人との違いを認めることがむずかしいです。
    仏教や儒教などアジアの宗教はその点、やさしいです。

  • 韓国の三国時代と続く高麗時代は仏教が国教でした。
    しかし、朝鮮は儒教国でした。朝鮮五百年間仏教は弾圧され、僧侶たちは賤民待遇を受けました。朝鮮の儒教は全く包容力がありませんでした。

  • 韓国の場合、国が宗教を決めて違う宗教を弾圧した歴史がありましたね。
    日本でも明治時代のはじめに神道が国教になって、仏教が弾圧されましたけど。
    でも、ヨーロッパのように、宗教勢力が戦うことは本当に少なかったと思います。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。