16世紀・日本とフランスの分水嶺 清洲同盟とユグノー戦争

 

いまから460年前の1562年、日本とフランスでその後の歴史を大きく変える重要な出来事が起きた。
ただし真逆の意味で。
ということでこれからその分水嶺を紹介しよう。

 

戦国時代の1562年、日本では尾張の織田信長と三河の徳川家康がタッグを組む「清洲(きよす)同盟」が結ばれた。
この軍事同盟によって西の不安がなくなった家康は、東の今川家との戦いに全集中することができるようになる。
信長にとっては北(美濃)にいる斎藤氏の攻略に集中することができて、それぞれ目的を果たす。
そして1582年に、信長・家康のチートレベルの連合軍が武田を滅ぼした。

自分や一族が生き抜くためには相手を裏切り、後ろから攻撃することがあるのも厳しい戦国時代のお約束。
たとえば織田信長と同盟関係を結んだ浅井長政は、大事な場面で裏切って背後から攻撃をしかけて、信長をかなりアブナイところまで追い詰めた。
でもその後、信長に攻められて自害する。
信長が長政の頭蓋骨に酒を入れて飲んだという話も伝わるが、たぶんそれは作り話だ。

そんな戦国時代の常識を超えて本能寺の変で死ぬまで、信長と家康は20年間も同盟関係を結んでいたのはスゴイこと。
清洲同盟を結んだことで、信長は美濃を攻め落としたあと京都を手に入れることに成功したし、家康は今川・武田・北条といった自分よりも、経済力や軍事力で上回る大名に滅ぼされることなく耐えて粘って、最終的には日本全国の支配者になった。

清洲同盟はけっこうマイナーな軍事同盟の気がするけど、日本の統一や江戸幕府の成立を考えると、実はその前後で、日本の歴史を決定的に変えるような重要な出来事だったりする。
もし信長と家康が戦ってどちらかが倒れることなったら、いまとはまったく違う日本がある。

 

 

長く続いた国には、だいたい一定の平和な時代があるもんだ。
古代ローマの場合、皇帝アウグストゥス(紀元前27年)の即位から、「五賢帝」の最後の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが180年に死ぬまでの約200年間がそんな時代で、「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」と呼ばれている。
*この説には異論もあるから、細かいことは Pax Romana を見てくれ。

この歴史用語にちなんで、江戸時代のちょう平和だった時代を「パクス・トクガワーナ(徳川の平和)」なんて言うことがある。
信長と家康が手を結んだ清洲同盟が、その後の日本統一やこんな平和につながった。

 

パクスってのは、ローマ神話に登場する平和と秩序の女神のこと
画像:Miha Ulanov

 

フランスのパックス(平和と秩序)をぶち壊すヒサンで無慈悲な出来事が起きたのが、清洲同盟と同じ1562年のきのう3月1日だ。
1517年にドイツのルターが「ローマ・カトリック教会は間違ってる!」と抗議して宗教改革が始まり、プロテスタントという新しいキリスト教のグループが爆誕。
こんなビッグウェーブは隣国のフランスにも伝わるしかない。

でもフランスではカトリック教会の影響が強かったから、プロテスタント信仰を持つ人は生きたまま焼き殺されるか、それとも他国へ亡命するかの絶望的な二択しかなかった。
それでも宗教指導者カルヴァンの影響が強くなっていき、プロテスタントを信じるフランス人が増えていく。
そして、彼らカルヴァン派は「ユグノー」と呼ばれるようになる。
ユグノーの語源には「同盟(Eidgenossen)」や、幽霊や化け物の「ユゴン王」などがあるらしい。

 

この時代のフランス(きっとヨーロッパ全体)の考え方では、宗教の違いは相手をコロス十分な理由になる。
むしろ異端者を生かしておくことは神への「罪」だから、カトリック教徒にはユグノーが存在していることが許せない。
そんな危険な雰囲気のなか、1562年3月1日にフランス北東部のヴァシーで、カトリック信者で貴族のギーズ公フランソワが軍に命じて多くのユグノーを殺害する「ヴァシーの虐殺」が起きた。

これがきっかけで、カトリックとユグノーとの絶対に負けられない戦い、ユグノー戦争がぼっ発。
このフランスの宗教大戦争は途中に8回の休戦を入れながら、約40年(1562年~98年)にわたって行われた。
大爆発の導火線に火をつけたギーズも、この争いの中でユグノーの貴族に殺された。
1572年にはフランス全土で、数万人ものユグノーがカトリック信者に殺害されたという「サン・バルテルミの虐殺」が発生する。

宗教に関することはなかなか妥協できないから、休戦してもすぐに争いが始まり、カトリックとユグノーとの対立でフランス国内はぐっちゃぐちゃの大混乱におちいる。
で結局、フランス王アンリ4世が1598年になんと、「ナントの勅令」を出して(いやスマン)、ユグノーにもカトリック信者とほぼ同じ権利を認めたことでこの宗教戦争は終わった。
でもアンリ4世は、これを「裏切り行為」とみなしたカトリック信者に殺されたから、この時代のキリスト教ってホントに闇。
ちなみにナントの勅令によってフランス人は、近世のヨーロッパでは初めて個人の信仰の自由を認められた。

この勅令のあとユグノー戦争は消えていき、フランスは国家として統一されていった。
政治的・社会的にも落ち着いて国家財政も安定したことで、フランスは17世紀に大繁栄の時代を迎えることになる。
背景はまったく違うけど結果をみれば、16世紀の日本の清洲同盟とフランスのナントの勅令には似ている部分がある。

 

サン・バルテルミの虐殺

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。