太平洋戦争が始まったころの1942年の2月19日、ルーズベルト米大統領が署名にサインし、国内の日本人と日系人が強制収容所へ送られることが決定された。
いまとなっては決定的なミスで、現在のアメリカでは「恥辱の日」とされている。
前年の12月8日、日本軍がハワイの真珠湾に奇襲攻撃をおこなうと、アメリカ国内で反日感情が一気に高まる。
不幸なことに、当時のルーズベルト大統領は「日本人は頭蓋骨の発達が白人より2000年も遅れていて凶悪だ」と信じているような差別主義者だった。
そんな人物によって、日本人移民やその子孫である日系二世・三世は、本来は「適正」なのに、このときは「敵性外国人」と見なされ、治安上の理由から都市からの移動を命じられる。
彼らは街から隔離され、砂漠地帯や荒地など、人が住むには過酷な自然環境につくられた強制収容所にぶち込まれた。
この計画を立てた米軍の大佐は、「一滴でも日本人の血」を持つ者は投獄されるべきと述べるなど、徹底的に実行され、約12万人の日本人と日系人が不当に人権を奪われた。
日系人が経営する店
周囲に「アメリカ人」をアピールしている。
日系人の強制収容を報じる新聞
荷物のように首に「タグ」をつけられた人たち
収容所へ輸送される日系人
この子たちはきっと何も分かっていない
収容所に送られた日本人や日系人たちは、粗末な木造の建物で、暖房も冷房もない環境で暮らさなければならなかった。
部屋には砂ぼこりが入り込み、トイレには壁がなく、便器が並んでいるだけで、プライバシーのない状況で排せつすることを余儀なくされた人も多かった。
アウシュヴィッツ強制収容所のトイレがこんな感じ。
収容所では武装した監視員が常に見張っていて、フェンスの外を歩こうとした人が射殺されたという記録もある。
絶望的(helplessness)な状況に置かれた日系人たちは、こんな言葉をよく口にしていたという。
The phrase “shikata ga nai” (loosely translated as “it cannot be helped”) was commonly used to summarize the incarcerated families’ resignation to their helplessness throughout these conditions.
収容所とそこでの生活の様子
ルーズベルトがサインしてから3年後、1945年8月15日に日本が降伏すると、強制収容所は不要となって、日本人や日系人は解放された。
しかし、元のところに戻っても、彼らは社会的にはアメリカの市民権をはく奪された「二級市民」として扱われ、激しい人種差別も受けた。
現在のアメリカでは、この行為は明らかな間違い&人種差別行為だったことが認識されている。
1988年にレーガン大統領は「連邦議会は国を代表して謝罪する」と、日系人に対して公式謝罪を行った。
現在のバイデン大統領も 2022年に公式声明で、「アメリカの最も恥ずべき章の一つ」と認め、取り返しのつかない被害を受けた日系人への「連邦政府の公式謝罪を再確認する」と明言。
ことし2024年も、バイデン大統領は「恥ずべきことだ。家族を離れ離れにし、尊厳を奪った」と謝罪し、ローマ字で「Nidoto Nai Yoni」と誓った。
日系人がまた、「shikata ga nai」とため息をつくような状況が二度とないように。
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